初めまして!合田紘之と申します。
愛車のアフリカツイン750で世界中を走る夢を叶えるため、30歳を目前に新聞記者を辞めて、第1弾として2017年12月からオーストラリア一周を始めました。
オーストラリアはカンガルーが飛び出してきたり、世界中のライダーと交流できたりなど、日本では想像もつかないことが沢山あって面白い!
退職したばかりで足が地に着いてない状態で、バイクにまたがっても身長が低くて足が地に着かない状態ですが、海外ツーリングが日本人ライダーにとって少しでも身近なものと思えるように魅力を伝えていきます!
【第三話】猛暑の中北上そしてエアーズロックへ
ポートオーガスタからスチュアートハイウェイ
1月25日。年越しまであと1週間。
ポートオーガスタからスチュアートハイウェイを走り内陸に進み始めた。オーストラリアのど真ん中を2800kmに渡って縦断する道路で、作家の椎名誠さんの小説の舞台としても有名な道だ。
休憩できないほどの灼熱
内陸に進むにつれ、これまでと景色ががらりと変わってきた。見えるのは灰色がかった乾燥した大地と青い空、そして地平線まで伸びる目の前の道だけだ。多少の草は生えているものの殺風景がずっと続き「ここは月か?」と思うほどだ。
そして、強烈な日差しが照り付け、体力を奪っていく。最高気温は連日40度を超えている。風を感じながらバイクに乗っているはずなのに、汗が噴き出ているのがわかる。夫婦ともども長時間バイクに乗っているとお尻が痛くなって休憩したくなるが、休むための日陰になるような建物や大きな木はほとんどない。
これまでは休憩や観光、記念撮影をしつつのんびり走っていたため、1日250kmほどしか走行しなかったが、内陸に入ってからは自然と走行距離が伸び1日に400km以上走るようになった。キャラバンパークでもテントサイトの地面が熱せられ、テントの中は一晩中サウナのように熱く、ゆっくり休むことはできなかった。単純に季節が悪いだけなんだが。
イタリア人夫婦との出会い
エアーズロックの1000kmほど手前の地点では素敵な出会いがあった。道路脇にあったベンチで休憩していると二人乗りのバイクが現れた。イタリア人夫婦で、BMWのR1200GSで8月にイタリアを出発し、中東や東南アジアを経て、現在はオーストラリアを回っているという。
なんと夫のルイージさんは64歳。「お互い暑くて大変だね」と涼しげに笑うが、この年齢でバイクで2人乗りで世界を回るなんで並大抵の体力ではできないし、並大抵の夫婦仲ではできない。30年後、私たちもこうありたいと思った出会いだった。
見えてきたエアーズロック
さらに北上を続け、29日はエアーズロックの300km手前の地点を出発。大陸の中心に近づくにつれて土が赤みがかってくるのが感じられた。さらに道を進んで小高い丘を越えた瞬間、遠くに大きな赤茶色の岩山が見えてきた。エアーズロックだ。
まだ50kmほど離れているというのに、周りに何もないため、はっきりとその姿を確認することができた。「もっと近くで見たい」。エアーズロックに吸い込まれるように夢中になってスロットルを回した。近づくほど、ごつごつとした岩肌や、地層のような縞模様が鮮明に見えてきて壮大さが増していく。そしてあっという間にエアーズロックのふもとにたどり着き、夫婦でこれまで見たことのないような目の前の景色に見入った。
「運転お疲れ様でした」。3300kmを走り終え妻がねぎらいの言葉をかけてくれた。ひたすら暑さに耐え、ベッドで寝ることもできないこの旅についてきてくれた妻に対し、私も感謝の気持ちが込み上がった瞬間だった。
そしてエアーズロックから20kmほど離れたユーラーラという地域にあるキャラバンパークで年末年始をゆっくり過ごすことにした。
1月1日。この日の明け方に大雨が降り、テントが水没したことで目を覚ますという波乱の年明けとなった。初日の出の時刻である午前6時前にエアーズロックに向かうも、曇っていてご来光は拝められなかった。
翌日にリベンジし1日遅れではあるが、エアーズロックから太陽が昇るダイヤモンド富士ならぬ「ダイヤモンドエアーズロック」を見ることができ、この旅の目標を達成できた。
過酷な道のりを夫婦で乗り越えたこともあり、一生記憶に残る年明けとなったに違いないだろう。