ハーレー和尚のバイク説法「開眼(かいげん)」
本瀧寺のシュウケンです。早いもので、当時にバイク寺蔵(じぞう)を建立(こんりゅう)して、1年ほどが経ちます。有難いことに昨年の開眼(かいげん)法要の時には、多くの方が来てくだいさました。
私たち僧侶の勤行(おつとめ)の一つに、この開眼法要があります。『開眼』とは仏像や仏画、お墓などに魂を入れることです。ダルマに目を書くことも、開眼の一つです。魂が入ることで、はじめて石の像が仏像となり、そして信仰などの対象となります。仏像や仏具などに限らず、古くから日本人は仏教、神道問わず、物には魂が宿ると信じてきました。各地で行われている針供養や人形供養などの行事がまさにそれです。また、妖怪話などに出てくる付喪神(つくもがみ)も、長い年月が経った道具などに霊魂が宿ったものだと言われます。良い、悪いは別として、道具などに魂=命が宿っている思うことで、大事に扱う心が生まれるという日本人らしい考えだと思います。
私自身も本瀧寺の僧侶として、毎年多くの開眼法要を行います。そのほとんどがお墓や仏壇などの開眼、お生根入れですが、以前、工場の機械の開眼法要を行ったことがあります。仏様や神様はもちろん、大切な家族や親しい友人たちを故意に傷つけたり、雑に接したりする人は少ないでしょう。きっと、この工場では機械に魂が宿っていると思うことで、機械を大切に扱う心が生まれるのではないでしょうか。結果、それが故障などを防ぎ、また仕事中の安全にも繋がる、素晴らしい考えだと思います。
バイクもそうです。この本の読者のみなさんの多くは、バイクをただの移動手段だとは考えていないと思います。漠然的にであるとは思いますが、機械製品以上のなにかをバイクに対して感じているはずです。その“なにか”こそが魂なのです。こういう言い方をすれば元も子もありませんが、魂が宿ろうが宿ってなかろうが、バイクはバイクです。アメリカ映画のようにロボットに変身したり、しゃべったりなどしません。ただ、先にも言ったように、魂が宿っていると思うだけで、自身のバイクを大切に扱おうとする心が生まれるのです。
別にお寺などにお願いしてバイクに開眼法要を行う必要はありません。ただ命あるものとして大切に想い、そして扱ってください。そうすることではじめてバイクが、ただの機械製品から貴方の大切なパートナーになるのです。
合掌