編集方針を理解したのですが、それでも解せなかったのが……
編集長に着任して、改めて創刊号と2号の本誌をじっくりと読んでみました。
現在と同様、バイク自体の紹介よりも、バイクを軸としたライフスタイルを提案する内容で、主要企画はツーリング。それも単にどこかのツーリングスポットを訪ねたレポート記事というよりも、ストーリー性のある旅記事を中心に掲載していました。
今年の10月に創刊15周年を迎えるBikeJIN。ワタクシNomが編集長として加わったのは、創刊した翌年の1月、Vol.3からでした。
どんな本もそうだと思いますが、創刊したての雑誌の編集部というのはあらゆることが混とんとした状態にあって、それが月日を重ねるごとにある一定の方向に落ち着いてくるもの。創刊して2冊本が出たばかりでしたから、編集長とは言っても中途参加のボクはこの本が目指しているものは何かを探りながら日々の業務をこなしていたように思います。
そんな培倶人黎明期から、2代目編集長のワディにバトンを渡すまでの6年間にはさまざまな出来事がありました。いまとなってはすべていい思い出ですが、当時は何日も何日も悩んだり、決断した後になって間違いだったのではと思ったりと、苦しい日々もありました。もちろん、それらを上回る楽しいこともイッパイあったんですけどね。
BikeJINウェブサイトがリニューアルして、BikeJIN Membersという新しい会員組織を作ることを決めたとき、会員の方々だけに楽しんでいただけるコンテンツを用意しようと思い立ち、ボクが編集長だった頃に起こったアレコレを綴ってみました。
今やバックナンバーも手に入らない昔の話ですが、当時からの読者の会員の方には懐かしがってもらえたら、そして当時を知らない会員の方には創刊当時の培倶人の息吹みたいなものを感じてもらえたら嬉しいです。
編集長に着任して、改めて創刊号と2号の本誌をじっくりと読んでみました。
現在と同様、バイク自体の紹介よりも、バイクを軸としたライフスタイルを提案する内容で、主要企画はツーリング。それも単にどこかのツーリングスポットを訪ねたレポート記事というよりも、ストーリー性のある旅記事を中心に掲載していました。
なるほどね、ハード(バイク)ではなくソフト(楽しみ方)を重点的に掲載するわけだと、自分なりに編集方針を理解したのですが、それでも解せなかったのが、巻頭で「日本一」と書いたタオルで前を隠しただけのオトコが裸でポーズを決めているシーンをメイン写真にしたツーリング企画「日本一を探す旅」でした。
この企画のメインキャストはご存知マヒトさん。当時はスモーカーだったマヒトさんと会社の喫煙室で何度も何度もこの裸写真の意味(意義)、そして企画趣旨について議論をしました。しかし、常に話は平行線で「裸はやめましょう」「やめません」の堂々巡り……。
「日本一写真」をどうしても理解できず、企画自体も疑問に思ってしまい悶々とした日々を過ごしていたボクは、ある日ついに決断を下し、スタッフのSとAにこう告げました。
「『日本一を探す旅』の裸の写真は取り止め。あるいは『日本一』自体の連載を中止!」
編集長の決断にはスタッフも従うもの、そう思っていたところ、SもAも猛然と反対をしました。Aは泣きながらこの連載は培倶人の生命線、これがなくなると培倶人自体の意味がなくなるとまで、涙ながらに訴え始めたのです。
ここでも議論は完全な平行線。スタッフ2人は、連載を中止するなら業務をボイコットするとまで訴えて(脅して?)きました。
新米編集長は、そこまであの連載が大事なのかと、納得がいかないけれど日々の業務の円滑な進行を優先して、そしてたった2号とはいえ自分が手掛ける前から本誌に携わっていた先輩でもある2人の考えを優先して、泣く泣く決断を取り下げることにしました。やはりかなり手強い、培倶人編集部……。
こうして、創刊初期に中止という最大の危機が訪れたにもかかわらず(そうしようとしたのはボクだけど)、形を変えながら今でも継続中のマヒトさんの連載記事。もしあそこで中止をしていたらと思うと、背筋が冷たくなります。
泣きながら反対したスタッフAの慧眼に、いまでも深く感謝しています。