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なるほど!世界のバイク人「ネーミングの世界的潮流 昔の名前をリスペクト」

バイクの名前は英字と数字の組み合わせのほかに
個性的なペットネームを持つものが多数あった
その昔の名前が時を超えて数多くよみがえっている
あなたは受け入れていますか? それとも……

バイクにつけられた名前名車の名前は重いもの

現在市販されているバイクには、「往年の名車」のモデルネームを復活させたものがいくつもある。代表的なのはトライアンフで、1990年のケルンショーで発表した最初のデイトナ、トライデント、トロフィーをはじめとして、これまでのほとんどのモデルに、過去のトライアンフの栄光の日々を築いた有名な名前がつけられている。ノートンもそうだ。現行車の961コマンドは、1967年から1977年まで生産された、最後のイギリス製スーパーバイクといわれたコマンド750/850から、ダイレクトに名前を引き継いでいる。

 レトロ/モダンクラシックのカテゴリーには、昔の名前がとりわけ多い。トライアンフやノートンと並ぶイギリスの伝統的なブランドのBSAは、インドのメーカーのマヒンドラによって復活したが、新しいバイクは、1939年に最初のモデルが登場して以来、クラシック時代のアイコン的なモデルネームになったゴールドスターを名乗っている。

 現存するイギリスのバイクブランドではもっとも古いロイヤルエンフィールドも、今はインドのメーカーだが、イギリス製だった時代の1952年に登場したミーティア、1962年のインターセプター、1964年のコンチネンタルGTなどの伝統的な名前が、現代のモデルにつけられている。また、1919年まで歴史を遡れるフランシス・バーネットは、2015年にブランドが復活して以来、戦後すぐに登場したファルコン、マーリン、ケストレルなどのモデルネームを使って、過去とのつながりを強調している。

 イタリアでも同様だ。たぶん誰もが知っているのはドゥカティのスクランブラーだろう。オリジナルのスクランブラーは、1962年にアメリカ市場の要求で作られたオフロードスタイルのファンバイク的なシングルだった。

[DUCATI Scrambler450(1968)] スクランブラーは1960年代に、よりオフロードの走破性を高めるために、幅広のアップハンドル、アップマフラー、ブロックタイヤなどを装備したモデル。トライアンフTR6、ホンダCL125、ドゥカティ・スクランブラーなどが有名だ

 モト・グッツィはイタリアでもっとも古いバイクメーカーなので昔の名前には事欠かないが、現在はグッツィの代名詞である縦置きVツインのフォーマットを最初に採用して1967年に登場したV7の名前を使っている。また、洗練されたスクランブラースタイルで人気のあるファンティック・キャバレロの名前は、1971年に作られた100㏄と50㏄のオフロードファンバイクから来ている。そして日本車にも、それほど昔のものではない名前がいくつかつけられている。

 今売られているバイクをざっと見ただけでもこんなに見つかる昔のモデルネームを、最新モデルにつけることのメリットは何だろう。そのほとんどは1960年代の終わりまでに生まれたバイクの名前だが、商品企画者の想像力が足りなくて新しい名前を思いつけなかったというわけではあるまい。

 流行しているレトロスタイルにオーセンティックな印象を与えるため? だが、その名前を聞いてオーセンティックだと思うのは、過去のオリジナルバイクを知っている人だろう。昔を知らない若い人には、単に新鮮で気の利いた名前としか映らないかもしれない。

 ノスタルジア? 昔を知っている人が現在の同名のバイクを見て、ノスタルジックだと思うかどうかは別の問題だ。これには例がある。2010年にノートンが961コマンドを発売したとき、オリジナルのコマンドのオーナーやノートンファンの間で大きな議論が起きた。ある人は、伝統的なフォーマットを維持しながら21世紀の背景でコマンドを復活させたことを評価したが、別の人は新しいコマンドなど語るに値しないと無視した。私はノートン・オーナーズクラブのメンバーなのでこれらを直接見聞きしたが、多かったのは後者で、その大部分はオリジナルのコマンドのオーナーだった。

 2001年にトライアンフが待望のボンネビルをリリースした直後のテストで撮影したとき、オリジナルのボンネビルの軽快感がないのに失望しながらも、バイクを運んできた広報のチーフにお世辞でいいバイクだと言ったら、彼は驚いたようにこれが好きなのか? と私に聞いた。当時のトライアンフがスポーツバイク志向だったのはたしかだが、それでもメーカーの人間自身が、バイクにそれほど肯定的ではないらしい様子を見せたのは印象的だった。もちろん、それから20数年後のボンネヴィルの成功と人気を見れば、彼は間違っていたのだが。

 結局、オールドファンのことは忘れてもいいのだ。もうすぐモーターサイクリングから去る彼らを感心させるために昔の名前を持ち出すことには、それほど意味はない。それに、彼らが新しいバイクに感心することはあまりないと思う。 

昔の名前の価値とは何だろう。それは、モーターサイクリングのヘリテイジだということだ。では、名前のヘリテイジとは何だろう。それはもしあなたがそういうバイクの1台に乗っていたら、その名前が最初についていたのはどんなバイクだったのかと、あなた自身が考える日が来るのを期待することだ。そして、その考察が当時の時代背景に及んで、モーターサイクル文化の歴史に気がつくことを。だが、それもバイクを取り巻く環境しだいだ。こういう覚醒のための手がかりは、イギリスやヨーロッパでなら簡単に手に入る。例えば、昔の名前を持つニューモデルを雑誌がテストすれば必ず記事中のサイドバーで名前の由来になった昔のバイクの解説がある。なぜなら、記事を作る編集者はそれを知っているからだ。

 一方日本では、バイク雑誌の編集者の多くは昔のことを知らない。知っていても、せいぜい漫画や劇画に出てきた日本製の70年代のバイクまでだ。見ているのは歴史の海の水面だけで発想も限られているから、読者が得られる情報や知識も自然と浅くなってしまう、これではモーターサイクル文化は成熟しない。

 もちろん歴史だけが文化ではない。だが文化の重要な要素は歴史だ。だから、昔の名前がついたバイクのオーナーには、そうでないバイクのオーナーにはない楽しみの選択肢がもうひとつあるだろう。それは、ある日、自分のバイクの名前に関心を持ち、自力でそれを探求する旅に出発できるかもしれないことだ。

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