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激しく身体を動かすわけではない。しかし、過酷な気象条件にさらされるツーリングは、立派なスポーツと言える──。スポーツウエアメーカーであるゴールドウインは、そう考えている。だから性能には妥協しないウエアの快適性がアスリートの助けになることを、知り尽くしているからだ
バイクほどウエアに対し過酷な“スポーツ”はない
優れたブランドには、筋の通ったヒストリーがある。一貫したこだわりや決してぶれない熱意が、太い背骨になっているのだ。
ゴールドウインは、1950年、富山県小矢部市に「津澤メリヤス製造所」として創業した。
終戦直後、なにもない状態からのスタートだった。創業者の西田東作は、メリヤス職人や近所の女性たち、そして家族を集めて、靴下や腹巻き、ベストなどを作り始めた。製造所の雰囲気はアットホームだったが、当初からよりよいモノ作りを目指した。
大きな転機となったのは、登山ソックスである。原毛の産地からこだわり抜いた高品質な登山ソックスは「丈夫で長持ちする」と評判になり、会社の評価を押し上げることになった。
52年、「これからはスポーツの時代が来る」と、西田東作はスポーツウエアメーカーへの転進を決意する。創業からわずか3年目の出来事だったが、これがゴールドウインの基盤となった。
会社名を「ゴールドウイン」に変更したのは63年のことだ。東京オリンピックを前年に控え、「選手たちに金メダリスト、ゴールド・ウィナーになってほしい」という願いを込めての命名だった。
その願いは見事に叶い、翌64年には、ゴールドウイン製の競技ウエアを着用した選手が12個の金メダルを獲得した。
東京オリンピックで金メダル獲得
64年の東京オリンピックでは、金メダリストの8割がゴールドウインのウエアを着用していた。この成功を期に、ゴールドウインの機能追求はさらなる高みを目指すこととなった
「快適であることが安全性を高めるという考え方」
創業から14年。スポーツウエアメーカーになってわずか12年で、世界の頂点に立ったゴールドウイン。創業当初からのモノ作りへのこだわりが、社名そのものである金メダルを獲得したことで、スポーツの世界でも十分に通用することを証明したのだった。
トップエンドの頂点を極める一方で、手軽なレジャーとしてのスポーツにもゴールドウインは着目していた。アスリートたちが証明したスポーツウエアの高性能、高機能、そして快適性を、より多くのユーザーに向けてフィードバックする――。この開発思想もゴールドウインの大きな柱となった。「83年から販売し始めたバイク用ウエアも、すべてこの流れに沿っています」と語るのは、同社モーター事業グループマネージャーの福田斉さんだ。「ブームだったこともあって、新しいスポーツのひとつとして注目したのがバイクだったんです。ちょうど神宮でスーパークロスが開催されるなど、オフロードが盛り上がっていたこともあって、まずはオフロード用ウエアから展開を始めました」
モトクロスジャージなどのオフロード用ウエアは、ゴールドウインからすれば立派な「アスリート向けのスポーツウエア」だ。 それまでの常識に囚われることなく、スポーツウエアメーカーとして多ジャンルで確立してきたウエア作りの方法論を、惜しみなく投入した。
素材選びから始まり、立体裁断、そして縫製に至るまで最善を尽くす。津澤メリヤス製造所時代からの品質へのこだわりは、まったく変わることなくバイク用ウエアにも適用されたのである。「その当時も今も、バイク用ウエアの開発にあたってもっとも重視しているのは、『ライディングもスポーツである』ということ。だからこそ、ほかのスポーツ用ウエアとまったく同じように、着る人が快適であるということが大切だと考えています」と福田さんは言った。
ゴールドウイン
事業統括本部モーター事業グループマネージャー
福田斉さん
90年に「バイクの仕事がしたくて入社した」筋金入りのバイク乗り。念願叶って95年からバイク用ウエアの業務に携わり始め、23年になる。「仕事でバイクに乗れる最高の職場」と笑いながらも、常に製品テストの目を欠かさない