もう少し警戒しておくべきダッタ
今や普通に通用する”メガ盛り””ギガ飯”の類に初めて相対したのは、BikeJINが”培倶人”とタイトルに漢字が踊っていた頃のコト。ソノ店の名前を聞いた時、俺は何と無く「漫才師みたいな名前やなぁ?」と思っていたが、もう少し警戒しておくべきダッタ。
Webの方でも書かせて貰えるとは「俺も幸せモノだナァ」等と思いながら、今まで行ったトコのコトや思いついたコトをツラツラと脈略なく、そうとう(誌面より)ユルイ感じで書いて行くノデお付き合いの程をヨロシク(^^)b
今や普通に通用する”メガ盛り””ギガ飯”の類に初めて相対したのは、BikeJINが”培倶人”とタイトルに漢字が踊っていた頃のコト。ソノ店の名前を聞いた時、俺は何と無く「漫才師みたいな名前やなぁ?」と思っていたが、もう少し警戒しておくべきダッタ。
その時のロケ地は山梨で富士五湖を巡るロケ。どこからでも富士山が見える環境に、関西人としてはテンションが上がってしまってニコニコとロケを続けていた昼下がりのコト。朝飯に談合坂でうどんを食ったダケで腹が泣きまくっていたノデ「そろそろメシにせんか?」と編集に声をかけると「いいっすね! じゃぁ案内します!」とニコニコで応えてくれたがココに罠が仕掛けてあったノダ。
店構えは立派で店内も広く席数も多い。立派な食事処にホクホクしていたら「メニューは任せて下さい」と編集、待つコト暫しで運ばれて来たソレは、当時の胃袋を持ってしても驚愕のギガ盛り!
ガクブルしながら見たソレは、10人前の麺が山となる冷やし中華と、運ばれて来たトレーさえも食器化させる”こぼし盛り”の中華丼。果敢にも(愚行とも言う)ソレに挑んだ中年ドンキホーテの戦いは悲惨なモノで、大量の麺を上から食べ進んでも、スピードが足らない為に下に圧入りされていた麺が汁を吸って膨らむワ、掘ったそばから餡が流れ込み全てを無かったコトにしてしまう中華丼に弄ばれるワで、まるで敵う訳が無い。
コノ戦いは1時間を待たずしてテーブルに両手をつき、敗北で幕を引いたノダ……。 ココから暫くしてBikeJINの爆食&B級グルメ期がやってくるコトをコノ頃の俺は知る由もなかったノダ。