【読書から考えるバイクライフ】中上健次「岬」を読んで──和歌山熊野の地に思いを馳せる旅
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中上健次の『岬』を読んだ。和歌山県熊野地方を舞台に、複雑な血縁関係と閉鎖的な社会で生きる青年の葛藤を描いた作品。読後、僕はこの地に足を運びたくなった。バイクと読書、二つの旅が交差する瞬間を綴る。
今月の一冊「岬」
「岬」というタイトルに惹かれて買った本です。ジャケ買いならぬタイトル買いです。中身は想像とだいぶ違っていました。
【『岬』中上健次】
主人公の青年「秋幸」は、義兄と義父と実母の4人で和歌山県の海沿いの町で暮らしていた。「秋幸」は同じ町にいる実父「あの男」の悪い噂をたびたび耳にしていた。新地で女を囲っている、地主から山を、土地をまきあげた……。町中でたまに会うことがあり、一言二言会話を交わすがそれ以上は話さなかった。同じ血が流れていることを疎ましく思っていた。
仕事である作業現場の親方「実弘」の妻は「美恵」といい、「秋幸」の異父姉である。親方の妹は「光子」といい、その彼氏である「安雄」という男も同じ現場で働いている。そんな中「安雄」が親方の実兄「古市」を刺し殺してしまう。それによって「美恵」の心身の状態は悪化し、彼とそのまわりの日常は崩壊していく。つまるところ、複雑な家族関係や閉鎖的な地方社会で生きる人々の葛藤を描いた作品です。
それにしても家系図で確認したいほど複雑な血縁関係ですね。生みの親と育ての親の違う者同士が、家族・親戚として混じり合っています。作者の生い立ちがこのような境遇だったようです。
そんな逃れられない血のつながりに「秋幸」は閉じ込められています。彼はこんな複雑な血縁関係をつくった「あの男」に憎しみを抱きます。反面、彼は「あの男」と同じ血が流れていることも自覚しています。本当は、彼はこの血縁関係や地元から抜け出したいはずです。
親戚や見知った人がたくさんいる地元の田舎暮らしから抜け出したいと思う気持ちは分かります。
私も会社と自宅の往復だけの平日をやり過ごし、いつもの風景のなかで暮らしています。そんな変わらない日常に、二十代、三十代の頃の僕はたびたび息が詰まりそうになったものです。だから、休日は学生時代から乗っていたカワサキエストレヤに跨って、意味もなく遠くまで走りに出ました。いつもの風景が遠ざかっていき、やがて見たことのない風景に包まれていきます。知らない道を走って、来たことのない土地に辿り着けば、息苦しさから解放されて自由を感じました。
本作の舞台は作家の郷里と同じ紀州、和歌山県熊野地方です。僕が国内で行ってみたいと思う県の一つです。どこかへ行く途中や何かのついでに寄れるような場所ではなくて、わざわざ行こうとしなければ行かないような、そんな土地に惹かれます。
タイトルの「岬」はおそらく、後半で親戚家族みんなで訪れる祖母のお墓のある場所でしょう。空と海、眩しい日差し、上がってくる潮風、緑の芝生で走りまわる小さな子供たち、平日で人のいない昼下がり、皆でお弁当を食べるこのシーンだけは温かく幸せに包まれていて、安らぎを感じました。
バイクとは無縁の文学作品ですが二箇所だけ登場します。前半の終盤「えらいことじゃあ」「古市が刺された」 と義父が雨に濡れた作業着のまま自宅に入ってきます。病院に行くために手に取ったタンスの上の鍵を「モーターバイクの鍵」と表現。
また作品の中程で「あの男」と出会ったとき「十七、八のチンピラが乗りまわすようなばかでかいオートバイにまたがっていた」と表しています。「オートバイのエンジンが耳に障った」と主人公の心情もあとに続きます。
「オートバイ」は大型バイクなのでしょう。表現を使い分けています。「遠くで、エンジンを空ぶかしする音がしていた」という描写もでてきます。1975年の作品です。当時の雰囲気も感じます。
そしてやっぱり、舞台となった和歌山県熊野地方に興味が湧いてきます。実際の「岬」がどこなのか、行って確かめたくなります。バイク乗りだとそれが現実的なものだから、いやはや困ったものです。
読書をして、バイクとその舞台に思いを馳せる。さあ、書を捨てず旅に出よう!
岬
中上健次著( 文春文庫刊)
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P r o f i l e:武田 宗徳
オートバイ専門書店・個人出版オートバイブックス代表・執筆家。1974年生まれ 静岡県藤枝市在住。20年以上前からバイク小説を執筆、関連するさまざまなメディアで掲載・発表してきた。著書に Rider’s Story シリーズ(5冊)がある