【ハーレー和尚のバイク説法「有明遠来」】バイクで繋がる友情!“古い二輪を愛でる会”で味わう特別な時間
BikeJIN2025年1月号 Vol.263掲載
「古い二輪を愛でる会」とは? のんびりとした特別な催し
本瀧寺のシュウケンです。私事ですが、先日、京都の南丹市で行われました“古い二輪を愛でる会”と言う催しに行ってまいりました。“古い二輪を愛でる会”とは、名前の通り、とにかく古いバイクが集まる催しで、私自身、今回初めて参加しました。トークショーやゲーム大会など、当日はとくに集まって何かをする訳でもありません。ただ互いのバイクを見たり、バイクの話をしたりするなど、各々が自由な時間を過ごしていました。最近の催しでは珍しい、とてものんびりとした雰囲気が印象的でした。
中国に『有朋遠来(ゆうほうえんらい)』と言う故事があります。「朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや」。同じ志を持つ友人が、はるばる遠くから訪ねて来る喜びを表現した孔子の言葉です。
前にお話ししましたが、私が再びバイクに乗り始めたのが40歳の時です。それから十数年、このバイクを縁に多くの人と知り合いました。もちろんバイク以外で知り合った人も大勢います。一期一会ではありませんが、その人たちと出会いを私は大切にして、またお話しできることは私自身の楽しみでもあります。ましてや、それがバイクと言う共通点のある人でしたら、なおさらです。バイクが好きと言う同じ志を持つ人と過ごす時間には、何か特別な感情を抱きます。有朋遠来、今回“古い二輪を愛でる会”に集まったライダーたちの楽しそうな姿を見て、この言葉が思い浮かびました。
じつは、この有朋遠来には、前後の言葉があります。「子曰(しいわ)く、学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや」。学んだことを繰り返して実践していくことは嬉しいこと。志を同じくする友が遠方から訪ねて来て語り合うことは楽しいこと。例えこのような生き方を他人が分かってくれなくても気にせず、学び続けることが立派な君子だと。
昔ほどではないですが、バイクに乗っていると、少なからず「危ないから止めた方がいい」「いい歳をして、いつまで乗り続けるの?」などの声を聞くこともあります。残念ながら、いずれはバイクを降りる時が来ると思います。経済的なこと、年齢や体力的なことなど、理由は人それぞれです。
ただ願わくは人の目や人の言葉でなく、自分の考えや判断、そして自分自身の意思で、その時を迎えてほしいものです。それが私自身の理想とするライダーです。