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なるほど!世界のバイク人「一見正しいそのマナー独りよがりではないか?」

バイクが大人の趣味と言われるようになって久しい
マナーアップを心がけるライダーも増加傾向だ
しかし渋滞路に延々と並ぶのはリスクもある
バイクの特有の楽しみ方と潜む危険を考える

BikeJIN2024年9月号 Vol.259掲載

マナーとコンディション維持バイクらしさとのバランスは?

日本では「最近のバイクライダーはマナーがいい」という評判があるそうだ。いったい何の話なのだろうと私は思った。それよりも、だれがそんなことを言っているのかと訝った。

どうも出元はクルマのドライバーらしい。何のマナーがいいのかと聞くと、最近のバイクは信号待ちや渋滞で、クルマの後ろについてじっと待っている、クルマの間をすり抜けて前に出るバイクが少ないというのだそうだ。数年前だったら、そんな馬鹿なことがあるものかと一笑に付しただろう。しかし実際、一時帰国して都内でクルマを運転すると、年ごとにそういうバイクが多くなっている。それを見るたびに、彼らはいったい何を考えているのだ、なんのためにバイクに乗っているのだと不思議でならない。

もちろん、東京のバイクライダーの全員がそうだというのではない。しかしこれは、たぶん日本でしか起きないことだろう。少なくともイギリスやヨーロッパでは、こんな光景は見たことがない。片側1車線の道路で信号待ちや渋滞があったら、対向車が来なければバイクは反対車線を慎重にゆっくり走って前に出るのが普通だからだ。これが交通規則上で厳密に合法なのかどうかは疑問があるが、少なくとも緊急走行ではないときのポリスバイクもそうしているし、クルマのドライバーもバイクはそういうものだと思っているから、これ自体がトラブルになることはほとんどない。

複数車線の道路が混んでいるときに、レーンの間をバイクがすり抜けて走ることをフィルタリングといい、これもヨーロッパでは普通に見られる光景だ。これも再び厳密に法規に照らせばグレーゾーンだが、先月紹介したアドバンスト・ライディング・トレーニングのコースには、フィルタリングのトレーニングも含まれているので、現実的には認められている走り方だ。日本でも同じことをするライダーはいるが、彼らの走り方は単にムキになっているようで、やりすごしたクルマにブレーキを踏ませる下手なすり抜けをして平然としている者もいる。

クルマの列の後ろに並んで信号が変わるのや渋滞が解消するのを待っているバイクライダーが何を考えているかは見当もつかないが、彼らが考えていないことは分かる。それは彼ら自身の健康だ。彼らは周囲のクルマやトラックが発生する有毒ガスの真っただ中で、それを肺に吸い込んでいることに気がついていないのだろう。いくら排出規制が進んだとはいえ、CO、HC、NOxはいぜんとして高濃度でそこにある。

そればかりではない。ただでさえ耐え難い酷暑の中で、エアコンをフル稼働させてさらに熱を排出しているクルマに囲まれていれば、熱中症はタンデムシートに座らされているガールフレンドよりも、ライダーにとって身近なものになる。

なぜ熱中症で人が死ぬのか、懇意にしている医師が私に説明してくれた。それは、熱によって内臓が深部熱傷を受けるからだそうだ。つまり火傷である。臓器が火傷を負うとその部分が壊死して機能不全になる。深部熱傷で何カ所も黒く変色して壊死した腎臓の写真を見せられたが、これはあらゆる臓器に起きる可能性があり、それには脳も含まれるというのだ。なんと恐ろしいことだろう。熱中症で年寄りが多く死ぬのは、本来は熱への耐性が高い筋肉そのものが全体に落ちているので、深部熱傷が起きやすいからだそうだが、若くても筋肉の量が少なければ、とうぜん危険度は増す。

つまり、クルマの群れの中で信号待ちをしているバイクライダーは、2つの理由で自らの健康を損ねて命を危険にさらしていることになるのだ。それを、冷房の効いたクルマのドライバーから「マナーがいい」と言われて悦に入っているとしたら、なんともおめでたい話である。

それでも、クルマの後ろで好んで健康をリスクにさらすのは個人の自由だ。しかし、それを他人に押し付ける権利はない。それは、後方からフィルタリングしてくるバイクをブロックするような位置に自分のバイクを停めることだ。もしかすると、こういうライダーは「マナーの良さ」を広めようとしているつもりなのかもしれない。自分がやるように他人も行動すべきなのだと。

こういう人間のことを、英語では「ドゥー・グッダー」と呼んで軽蔑する。DoGooder、つまり独りよがりである。伐採される樹木に自分の身体を縛り付けて抵抗する自然保護活動家を「ツリー・ハガー」と揶揄するが、それと同類だ。ドゥー・グッダーが始末に負えないのは、自分が正しいことをやっていると思い込んでいる点だ。まさに、渋滞にはまってクルマに囲まれるのが好きなバイクライダーの典型かもしれない。

バイクのスピリットは自由と逃亡である。これは昔も今も変わらない。秩序と制約に絡め取られた日常から、反社会的な逸脱をせずに逃れられる手段と自己表現のひとつがバイクだ。ロングツーリングの終わりに自分の町が近づいてくると、そこはかとない寂莫感に包まれるのはこれが理由だろう。

バイクに乗ってラーメンやかつ丼を食べに行こうが、自分の荒野を求めてひたすら走ろうが、それは各自の自由である。だが、渋滞や信号待ちでクルマの後ろに並んで平然としているようなバイクライダーは、私は嫌いだ。バイクはバイクらしく走るべきである。それは、他のロードユーザーに恐怖を与える無法な追い越しや割り込みのことではない。バイクらしく走るとはどういうことか、今の日本のライダーは分かっているだろうか。

それができる場所は日本にはないというのなら、そういう日本でバイクらしく走るというのはどういうことかを、バイクメディアはもっと研究すべきだろう。少なくとも、バイク・ドゥー・グッダーがこれ以上増えずに、絶滅に向かってくれるだけでもいい。

カリフォルニアでは技量が高いライダーのバイクすり抜けは認められており、ガイドラインがある。クルマとの速度差は16㎞/hまで、60㎞/h以上で走らないことを推奨。日本でも検討してほしい

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