【バイク日和】若き日の想いを胸にふたたびバイクと共に人生を歩んでいく
16歳からバイクの魅力にとりつかれていた秋元さん
一度は仕事のためにすべてを手放したが、それは戻ることを
前提にしてのこと。そして20年後に誓いを果たした
今は肩の力が抜けた、余裕あるバイクライフを送っている
BikeJIN2024年9月号 Vol.259掲載
イベントを成功させてバイクの世界にリターン
真っ赤なドゥカティ・モンスターS4Rsのオーナーである秋元さんは、オーガニックライフスタイルEXPOなどのイベント主催するビジネスマン。とても充実しているように見えるが、ここまでの道のりには紆余曲折があった。
80年代のバイクブーム最盛期に高校生になった秋元さんは、周りの仲間と同じようにバイクに興味を持ち16歳で原付免許を取得。行動の自由を手に入れた。すっかりバイクの虜になり、中型免許を取るとRZ350やGSX‐Rなどに乗り走りを楽しむようになる。19歳のときに難関の限定解除に挑み、50回受験し合格。念願のC B900Fボルドールを入手した。「少ししたらスポーツライディングに目覚めちゃいまして……」と笑顔を見せる。公道に堅苦しさを感じた秋元さんはサーキットを走ろうと考えた。しかし当時の筑波サーキットは大人気で、走行枠がなかなか取れなかった。結局、峠道を走る程度では気持ちは不完全燃焼だったという。
23歳になったころ、先輩から「オフも楽しいぞ」と声をかけられ、すぐにDT125で4時間耐久サバイバルエンデューロに出場。しかしパワーがなくて坂を登らない。そこで4ストマシンの魅力に目覚め、TT350を購入しエンデューロレースへの出場を重ねた。
そして29歳のときに転機が訪れる。建築会社に務めていたが、展示イベントのパビリオン施工を担当したことがキッカケで広告代理店に出向することになり、そのまま就職しないかと誘われたのだ。「実はバイク業界にも興味があって入りたいと思っていたんです。でもバイクを仕事にすると辛くなるかもと考えてしまって」
秋元さんはやり甲斐を感じていた広告代理店の道を選んだ。そこで展示会の存在意義やゼロから立ち上げていくプロセスなどを学び、チーフプロデューサーまで経験した。そして2000年ころに、世界では温暖化や環境問題が議題に上がっていることを知る。
アメリカの社会学者のセミナーを聞いて感化された秋元さんは、まだ温暖化への認識が弱かった日本で環境問題をテーマとしたイベントを立ち上げるべく40歳で独立。そのとき、いつかバイクの世界に戻ることを誓いつつ、5台あったバイクや装備をすべて手放した。
不退転の決意で始めたイベントだったが、あるとき2000万円ほどの売上金を持ち去られるという事件が起きる。あまりのショックに人間不信に陥り鬱病になった。田舎に帰ることも考えたが、医者に「朝日の当たる生活習慣に変えたほうがいい」と言われ丸の内でビル清掃の仕事をはじめた。そこはお年寄りばかりの現場。だが彼らは人生経験が豊富だ。話を聞くと財産を全部取られてしまったという人もいた。そこにいると辛いのは自分だけじゃないんだと思え、生きる力をもらえたという。半年ほどすると昔のつながりからイベントプロデューサーのオファーが来た。しばらくそこで社員として働いていると、再びオーガニックやサスティナブルを広めないといけないという気持ちに火が付いた。1年後に独立し再スタートを切る。こんどは人に頼らず責任はすべて自分で負うことを決意して活動。今度は順調に進み、間もなく10年が経過する。
バイクを再び手に入れたのは56歳のときだ。行きつけのバーで飲んでいると、バイクに乗りはじめたオーナーとお客さんが楽しそうにバイクの話をしていた。
「そこで話の輪に入れてもらうと、何に乗っているんですかって聞かれて。今は乗ってないって答えながら悔しくなって、翌日にはヘルメットを買って2カ月後にはモンスターに乗っていました(笑)」
いまは休みの日にバイクをいじったり、ショートツーリングを楽しんでいる。最近は若い頃に入れ込んでいたエンデューロレースにまた出たいと考えるようになったという。秋元さんのバイクライフ日記はまだ終わりそうにない。
オーガニックライフスタイルEXPOを主催
1965 年1 月生まれ。現在はオーガニックやサステナブルのイベントプロデューサーをしている。若い頃はエンデューロにハマっていて、いつかはバハ1000マイルレースに出たいという夢を持っていた