なるほど!世界のバイク人「日本は優しすぎる⁉ 違法ライダーへのイギリスの対応とは」
イギリスは迷惑行為を細かく定義している
反社会的行為禁止命令という法律だ
違法バイクは没収されれば破壊される厳罰
それでも根絶が困難な不思議な問題だ
バイクの魅力は自由。しかしその範囲は?
ライダーのすべてが、培倶人の読者のような善良な市民ではない。これは世界中どこでも同じだ。そして、スポーツやレジャーや輸送に使うのではなく、なんのためにこんなことをするのかと思うような目的や、単に犯罪の道具としてバイクが使われる例はいくらでもある。
日本の暴走族もそうかもしれないが、イギリスではアンチソーシャルライダーが間違いなくそのひとつだ。彼らは、ナンバープレートがなく無車検で保険に入っていないオフロードバイク(競技車であることも多い)を、ストリートで信号を無視して乗り回し、逆走や歩道走行も茶飯事だ。さらに、合法的に公道を走れないクオッドもしばしばこれに加わり、他のロードユーザーを危険に巻き込んでいる。つまり、彼らは道路の無法者だ。アスボライダーという別名もある。
イギリスには、アンチソーシャル・ビヘイヴィア・オーダー=反社会的行為禁止命令という法律がある。個人や特定のグループ、コミュニティ、公共的環境を不快にさせたり、脅威や危険を感じさせたりする反社会的行為を禁止するために、1998年に作られた法律で、当初は頭文字をとってASBO(アスボ)と呼ばれた。違反者には最長で5年の懲役刑が課せられるが、2014年に処罰の内容を3種類に分けて、刑罰の期間や程度を明確にする改正が行われた。
この法律が定義する反社会的行為は、ざっと次のようなものだ。車両の投棄や放置、自動車の悪用、公共の場所での暴力や不適切な行為、近隣住民の暴力や無分別な行為、不法投棄やドラッグ製造、動物による迷惑、私有地への不法侵入、脅迫などの犯罪にまでは至らない迷惑電話などのコミュニケーション、路上など公共の場所での飲酒、セックスワーカーや性労働に関連する行動、隣人以外が発する騒音、公共の場所での物乞いや許可のない物品販売、花火の悪用、泥酔や脅し、バンダリズム(器物損壊)や落書き、深夜の大音量の音楽などである。
要するにこれらは迷惑行為ではないかと、日本人である読者は思うだろう。だが、迷惑という言葉は抽象的で生ぬるい。だから、頭の悪い人はこれが良くないことだという自覚を持てないことがある。しかし反社会的行為と言えば、具体的な意味と強い語感によって自分の非が分かるだろう。曖昧であることを良しとする日本の慣習は、ここでは役に立たない。
この法律は、犯罪として立件するには不十分な違法行為に対して有効であるのと同時に、既存の法律の違反行為の上乗せにもなる。アンチソーシャルライダーを例にとると、無登録車、無車検車、無保険車を公道で乗るのはハイウエイコード(道路交通法)に違反しているほかに、自動車の悪用や無分別な行為や騒音などで、反社会的行為禁止命令にも違反していることになるのだ。
アンチソーシャルライダーが乗っているのはほとんどがオフロードバイクで、中にはコンペティションマシンもある。たいていは盗んできたもので、保安部品を捨て去り、車体を黒く塗って車種を判別できないようにし、もっとも大きな音を出すエグゾーストを取り付けるのが定番だ。エグゾーストを除けば、ロードバイクに馬鹿げた改造を競う日本の暴走族とは様子が違う。
そして彼らは主に白昼に走る。ライトが付いてないから夜は走りにくいという実用的な理由があるのかもしれないが、この点は日本の暴走族より健康的かもしれない。彼らのスタイルは、写真を見れば分かるように、バラクラヴァとゴーグルで顔を隠す以外は普通で、暴走族のようにチンドン屋みたいな恰好をする者はいない。徒党を組むということも少なく、たいていは多くて5〜6台だ。
イギリスの警察は慢性的な人手不足で、人身に損傷がない泥棒事件や交通事故ぐらいでは呼んでも来ないが、アンチソーシャルなバイクライダーには注意を払っている。4年前のこのコラムに書いた、逃走するスクーターギャングにポリスカーを接触・衝突させて犯人を仕留める「タクティカル・コンタクト」もそのひとつだが、アンチソーシャルライダーに関しては、彼らがたむろしている場所やバイクを置いてある家を通報するように、市民に協力を求めている。
通報を受けると警察は摘発を行ってバイクを押収する。押収したバイクは即座に断裁機に放り込まれて粉砕され、スクラップになる。有無を言わさぬこのやり方は効果的で、これを非難する者は皆無だ。日本の暴走族のバイクは、改造をもとに戻せば警察から返してもらえるそうだが、そういう手ぬるさはない。所有権の侵害? 反社会的行為をしておいて、権利などという洒落た言いぐさはない。
こうして粉砕されたバイクは、キューブ状のスクラップになってアンチソーシャルキャンペーンなどで展示されたり、コミュニティのSNSやローカルペーパーなどにアップロードされたりするが、それでも絶滅には至らない。そして、通報によってバイクを押収する警察がビッグブラザーのように見えたり、もしかするとフランソワ・トリュフォーの映画「華氏451」を思い出したりする人も、中にはいるかもしれない。
だが、そもそも反社会的行為というのは根絶が不可能だから、バイクがそこにある限り、アンチソーシャルライダーも生き永らえるだろう。と言うとなんだか救いがないように聞こえるかもしれないが、これが現実である。だから、道徳的な概念に基づく部分もある反社会的行為禁止命令が制裁的な印象を与えたとしても、人々はこれを支持するのだ。