ハーレー和尚のバイク説法「照千一隅(しょうせんいちぐう)」
BikeJIN2024年3月号(Vol.253)掲載
本瀧寺のシュウケンです。本来なら年が明けて最初の記事なので、おめでたい話でもしようかと考えていましたが、今年は控えさせていただきます。
連日、テレビなどで報道されている能登半島の大地震。元日を襲ったこの地震に強い衝撃を受けました。能登半島といえば、千里浜なぎさドライブウェイも近く、私たちライダーにとって親しみのある場所です。「何かできることはないか」と考えているライダーも多いことでしょう。困っている人に手を差し伸べる行為はとても素晴らしいことです。阪神淡路大震災や東日本大震災などでも多くの支援の手が差し伸ばされました。しかし一方で、賞味期限切れの食料や捨てるような状態の衣服が送られ、また無計画でボランティアに訪れ、復興活動などの妨げになったという話も聞きます。すべては善意からの行動とは思いますが、結果的に迷惑をかけたことも事実です。東日本大震災の時は、私も僧侶として復興関連の祈祷で福島を訪れました。実際、この目で見た被災現場は、言葉にならないほど酷く、自分の無力さを実感したことを覚えています。僧侶の私にできることは、ただ祈ることと心ばかりの寄付しかありませんでした。
南米のアンデス地方に、こんな話が伝わっています。ある時、森で大きな火事がありました。多くの動物たちが逃げ惑うなか、一匹のハチドリが、そのクチバシで水をすくっては、火の上に落としていきます。ご存知の通り、ハチドリはとても小さな鳥です。クチバシで運べる水なんて、ひと滴ほどです。それを見ていた動物たちは「そんなことをして何になるんだ」と笑いました。それでもハチドリは水を運ぶことを止めずに一言だけ言いました。「私は、私にできることをしているだけです」。
じつは仏教にも同じような言葉があります。『照千一隅(しょうせんいちぐう)』。“照千一隅、此れ即ち国宝なり”。比叡山延暦寺を建立された伝教大師最澄様のお言葉です。一隅とは、自分がいる場所のこと。つまり、与えられた立場で、それぞれ目一杯に努力することこそ何ものにも代え難い宝という意味です。
詐欺や泥棒などの犯罪、人の不幸に乗じたモラルなき行為は論外です。例え善意の行動でも、大きなお世話という言葉があるように、結果的に相手を困らせることもあります。以前、SNS上での誹謗中傷についてお話しましたが、何かをする時は、感情に任せて行動するのではなく、一度心を落ち着かせるのが大切です。そして何よりいけないことは「自分が何かしたところで」という諦めの心です。一人一人が無理をせず、日常のなかで自分にできることをする。それが今の私たちにできる一番の支援ではないでしょうか。
最後になりますが、この度の大地震でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族にお悔やみ申し上げます。また、被害を受けられた皆さんに、お見舞い申し上げます。そして一日でも早く平穏な生活に戻られますことを心からお祈りいたします。
合掌