なるほど!世界のバイク人「“スクランブラー”の本当の起源」
現代はバイクカスタムのジャンルとして確立し
メーカーからも多数スクランブラーがラインナップ
速さを求めない牧歌的な雰囲気もあるが
実は原野でスピードを競う競技用車両だった
新競技スクランブル、戦う競技車両だった
現在市販されているバイクの中に、少なくとも4つのメーカーが同時に使っている同じモデルネームがある。普通、こういうことはありそうにない。どのメーカーも独自性のあるモデルネームを苦労して考え、もし他のメーカーが同じ名前でニューモデルを発表したら、意匠の侵害で訴えるか苦情を言うかするはずだ。
しかしこの名前に関しては、どのメーカーも共存の道を選んでいるかのように見える。その名前とはスクランブラーだ。ドゥカティを筆頭に、BMWはR nineTに、トライアンフは3機種に、ファンティックはスタイリッシュなキャバレロシリーズに使っている。堂々とスクランブラーと名乗らずに、「スクランブラースタイル」というサブタイトルでお茶を濁しているメーカーさえある。
スクランブラーは英語の動詞のスクランブルが元の名詞だが、バイクスポーツにおけるスクランブルとは何かと聞かれて、正しく答えられる人は少ないかもしれない。そしてその答えは、モーターサイクルの歴史の扉の内側にある。
量産ベースでバイクの製造販売が始まって間もない20世紀の初頭、イギリスではトライアルと呼ばれるバイクのオフロード競技がすでに行われていた。1912年に始まった、スコティッシュ・シックス・デイズ・トライアル(SSDT)もそのひとつである。ただしそれらは、現在のトライアルのように極端な地形のコースでデリケートなバランスとスコアを競うのではなく、スピードを競うタイム計測と操縦技術の採点セクションの合計で勝敗を決めるスポーツだった。
1914年に第1次世界大戦が始まると、バイクは戦場での情報伝達の道具として重要な役割を果たし、サイドカーを取り付けたスコット、BSA、ノートン、サンビーム、P&M、インディアンなどのディスパッチ(伝令)バイクが、砲弾で穴だらけになった戦場を走り回った。その結果、モーターサイクルには無数の技術改良がもたらされた。
1918年に戦争が終わると、ラフロードライディングのエキスパートになった大勢の復員兵と、戦時賠償による報奨金のおかげで、イギリスにバイクブームが起きて大小100社以上のメーカーが生まれた。当然、バイクスポーツも盛んになり、とくにイギリス北部でオフロードトライアルの人気が高まった。 1924年3月、ロンドンの西のカムバーリーヒースという広大な軍用地の原野で、イギリス北部のトライアルに対抗する競技を開催することになった。このレースはそれまでのトライアルと違って、純粋にだれがいちばん速いかだけを競うので、トライアルではない新しい名称が必要になった。そして会議の席で「何と呼ぼうとこいつは苦労するスクランブル(競走の意味)だ」とだれかが言ったことから、サザンスコット・スクランブルという名前が採用され、これ以後、このタイプのオフロードレースをスクランブル、あるいはスクランブリングと呼ぶようになったのである。
スクランブルはやがて国際的にも盛んになり、ヨーロッパではフランス語のモトシクレット(モーターサイクル)の「モト」とクロスカントリーの「クロス」を合成した、「モトクロス」という名前で呼ばれるようになった。つまり、スクランブル=モトクロス、スクランブラー=モトクロッサーである。
イギリスのスクランブル熱は1930年代に入ってますます高まり、BSA、ノートン、AJS、マチレス、ラッジなどのメーカーがチームを組んで参戦した。この時代のスクランブラーは、ロードバイクからライトなどの不要な部品を取り外して軽くし、丈夫なハンドルバーとシングルシートを取り付けただけと言っていいものだった。しかし、シャシーへの要求がロードバイクよりも厳しいスクランブラーは、1930年代という早い時期にリアのリジッド(固定)式サスペンションを放棄し、ストリートバイクよりも早くスイングアームを採用した。
第2次大戦後もスクランブル/モトクロスは発展を続け、FIMは1952年に500㏄フォーミュラのモトクロスヨーロッパ選手権を開催し、1957年には世界選手権が始まった。この年には250㏄のヨーロッパ選手権も始まり、5年後に世界選手権になった。
写真は1959年のモトクロス世界選手権のイギリス戦に出場した、ドン・リックマンとリックマンメティス・トライアンフである。4ストローク単気筒が主流だった500㏄スクランブラーは、いぜんとしてほとんどがロードバイクをベースにしていたが、リックマンは独自に開発した専用のシャシーにトライアンフの2気筒を載せて、メティス(混血種)と名付けたマシンを作った。これに乗ったデリクとドンのリックマン兄弟は多くのレースで勝ち、そのおかげでメティスのシャシーキットは飛ぶように売れた。
ハンドリングの良いフレーム、小ぶりなタンク、アルミの前後フェンダー、ストレートパイプのダウンエグゾースト(アップエグゾーストはまだ使われていなかった)などを装備したマシンは見るからに軽快で、こういう単能化されたシンプルなスタイルのバイクをストリートに持ち出したらさぞ格好いいだろうと、だれかが思いつくのは時間の問題だった。そしてそれが、やがてストリートスクランブラーと呼ばれるようになるバイクの始まりとなり、目ざといメーカーが、厳密にはそれほどオフロード能力のない「スクランブラー」モデルを作るインスピレーションになったのである。