ハーレー和尚のバイク説法「人の為に生きよ(ひとのためにいきよ)」
BikeJIN2021年8月号 Vol.222掲載
今月の一言
本瀧寺のシュウケンと申します。読者の皆さんには、本瀧寺よりバイク寺といった方が、ご存知の方が多いかも知れません。恐縮ながらとうコラムを担当することになりました。坊主の戯言だと思い、しばしお付き合いください。
2021年の春に培倶人さんの取材でもお話いたしましたが、私はいわゆるリターンライダーです。友人の影響で、再びバイクに跨ったのが40歳の時。
久しぶりに乗ったバイクは、楽しいより「こんなに怖かったのか、こんなに危なかったのか」というのが正直、その時の印象でした。お寺ですので、それまでもクルマやバイクの交通安全の祈願などは行っていました。
しかし、実際に自分がバイクに乗るようになって、交通安全という言葉に、今まで以上の重みを感じました。そして僧侶でもある自分が、ライダーのためになにかできないだろうか?
そう思い、守護鈴の授与や交通安全に関する講和などを始めました。これが、バイク寺といわれるきっかけで、今では多くのライダーに来ていただいています。
今だから言えますが、当初は否定的な意見もありました。残念なことですが、私たちの年代の人間には、危ない、危険などバイクに対して否定的な考えを持った人が多いのも事実です。
でも、危ないから乗らない。危険だからダメだ。そうではないと思うのです。10代の頃、初めてバイクに乗った時、なにか自分の世界が広がった気がしました。
バイクに乗っていたからこそ繋がった縁もあります。今も、そうです。境内やカフェでライダーと話をしていると、教えられることでいっぱいです。その度に、バイクは本当に素晴らしい乗り物だと思います。
その素晴らしい物を、危ないという理由だけで否定するのは残念でなりません。ならば、どうしたらいいのでしょうか? 答えは簡単です。安全に乗ればいいのです。
私はただの坊主ですので、ライダーの皆さんにライディングテクニックを教えたり、バイクのセーフティシステムなどを作ったりすることはできません。
ただ命の尊さ、大切さをお話するだけです。でも、この命の大切さを知ることが、交通安全への第一歩だと考えています。
確か20代の頃だったと思います。かつて修行した比叡山の大僧正から『人のために生きよ』というお言葉を頂戴しました。恥ずかしながら、その時はあまり深く意識しませんでした。
しかし、再びバイクに乗り始め、ライダーのためになにかをしたいと思った時に、一番にこの言葉が頭に浮かびました。ライダーのために生きるなど大層なことは言いません。
ただこの坊主の戯言で、一人でも多くのライダーが安全運転を意識してもらえれば幸いです。
合掌