【ツーリングガイド・富士五湖】人々はなぜ富士山に登るのか 富士山ヒストリーを学ぶ

富士五湖は元々富士八海だった!?
「なぜ人々は富士山に惹きつけられるのだろうか?」今まであまり興味がなかった僕に浮かんだ率直な疑問だ。そんなルーツが学べる場所があるというので早速向かってみた。その名も「ふじさんミュージアム」。名前は可愛らしいが富士山を取り巻く文化やそれにまつわる歴史などを知ることができるれっきとした博物館だ。
聞けば富士山は元々、神仏の住まう霊山として信仰のために登る山だったという。それが平安時代になると修験者たちが修行のために登るようになり、信仰登山として一般の人々が登るようになったのは室町時代以降のこと。江戸時代後期には庶民の間で富士山への参詣が大流行。このように古くから人々の心には富士山への畏敬の念が存在していたようだ。
なかでも僕が興味を引き付けられたのは江戸時代に流行したという富士講。現代とは比べ物にならないくらい費用と日数がかかることから、有志がお金を出し合い代表者が富士山を登る「講」という仕組みができあがり大衆に広まったそうだ。当時は日本橋から登山の出発地点である上吉田までの120㎞を3〜4日かけて歩いていたというから感慨深い。いまならバイクで2時間足らずで行けてしまう距離だ。文明の発達と技術の進歩を感じずにはいられない。そこで、当時の人々の足取りをたどるべく今回の旅の目的のひとつに富士の信仰登山ゆかりの地を巡ってみることにした。
富士講で富士山を訪れた人々は、神と信者の間に立ち祈りを捧げたり、自宅を宿泊所として提供する御お師しのもとに世話になったという。その御師の家々が並ぶ通りの入り口にあるのが「金鳥居い」だ。いわば富士山への入り口。いまでも民泊などを営んでいる元・御師の家もあるそうなので、宿泊して当時に思いを馳せてみるのも良いだろう。
次に訪れたのは泉水。現在では水が枯れてしまっているが、当時は富士山に登る前に人々が水みず垢ご離り(身体を清めること)をするための湖だったという。周辺には駐車場もなく、泉水までの道はかなり路面状況が悪いため(ちなみに僕は途中でスタックしました)近くまで行ったらバイクを置いて徒歩で向かうのがオススメだ。この泉水に明見湖や四尾連湖を加えたものを、「富士八海」と呼び富士山への信仰登山のための禊の場として使われていた(時代によってほかの湖が入ってきたりもするそう)。
ちなみに「富士五湖」と呼ばれるようになったのは割と最近で昭和に入ってからだという。そんな富士講の開祖である長谷川角行ゆかりの地である人穴富士講遺跡にも興味のある人は足を運んでみよう。