[編集長コラム]”一生モノ”は成るもので、買うものじゃない?
〝一生モノ〞なんて軽々しく言うものじゃない」とお叱りを受けた。新品にそでを通しただけでは〝一生モノ〞とは言えない。それは、これからも大切に扱い、メンテナンスを施し、愛情もって過ごしていった先にある。何もしなければ、どんないいものでも普通に壊れ、捨てられる運命にある、と。
それまで僕の認識では〝一生モノ〞とは漠然と長く使えるものという認識で、具体的な定義はなかった。例えば革ジャンなんかは劣化しにくい丈夫な素材で、壊れにくい。ちょっとやそっとじゃ着れなくなるもんじゃないし、そういう価値感も含めてあの価格帯を作り上げている、とも思っていたが、どうやら違っていたみたい。
40年前に革ブランド「ペアスロープ」が生まれたとき、製品に添えられた言葉は「15〜20年お使いください」だったそう。使えるという事実は知っているが、誰もそのブランドを何年も使ってないから。そして40年たった今は「30年お使いください」と添えられている。リペアなどのアフターサービスも対応し続け、製品への自信に実態が伴い、使っているお客さんが目の前にいるからだ。
今年買った僕の革ジャン。袖を通すたびに嬉しくなり、バイクに乗るのがもう一段階楽しくなった。大事にするがあまり、袖を通しては雨の気配を感じてラックに戻したりして、そんなこんなで出番が意外と少なく、腕周りの革はいまだにぎこちない。
これから何十年も使っていたらいろいろあるだろう。雨にも降られるだろうし、(想像したくはないが)転んだりしたら擦り傷も入る。バイクが変われば入るシワの向きも変わるだろう。そういった、自分が付けたキズやシワ、ヤレ感といった勲章がカッコよさになり、歴史になる。そうして何十年後、それらのキズを見てあの時を思い出す。その時にやっと「一生モノに〝成る〞」んだと思ったのだ。