【カタナ専門ショップ・ユニコーン①】こうして、ユニコーンを設立
(BikeJINvol.232 2022年4月号より抜粋)
BikeJIN読者の皆さん、はじめまして!
もしかしたらご存知の方もいるかもしれませんが、私は神奈川県横浜市で「ユニコーンジャパン」というショップを営んでいる池田隆です。90年代を知るベテランライダーだと、もしかしたら「神戸ユニコーン」という旧社名で認識している人も多いかもしれません。この“神戸”という社名でも分かるように、ユニコーンジャパンは兵庫県神戸市で創業した会社です。
私は、小学3年生くらいの段階で自転車を完全に分解・組み立てできるような、機械いじりが大好きな少年でした。だから小学5年生のときにはすでに、自転車を一緒に扱っているバイク屋さんでアルバイトを……。そんな感じでしたから、より遠くへ快適に行ける移動手段として、バイクに興味を持つのは当然の流れでした。そして、兵庫県で当時トップの工業高校に進学。自転車屋さんやバイク屋さんでアルバイトをしながら、すでに「将来はこれで飯を食いたい」と考えるようになっていたので、自分の兄貴がスズキのバイクに乗っていたというちょっと漠然とした理由で、まずはスズキに入社しました。
当初の採用は本社の整備メカニックだったのですが、しばらく経ったときに、ビークル神戸というスズキがつくったアンテナショップの店長に就任。とてもラッキーだったのですが、これによりバイクショップを営むのに必要な知識を勉強させていただき、保険などの資格まで取得できました。
で、当時の常務に言ったわけです。「会社、辞めます」と。当然ながら上司としては、その理由を聞いてきます。そこで、「じつは自分で商売をしたいと思っていて……」と告げると、予想外の返答が……。「それならちょうど、うちは今年からSBS(スズキバイクショップ)という代理店網を構築するから、その1号店をやりなさい」という提案を受けたのです。
つまり私が店長をしていたビークル神戸はそのモデルショップ的な存在で、そこから独立してSBSの1号店という流れ。そして設立したのが、当時やっていたツーリングクラブの名前を冠した「神戸ユニコーン」でした。中村さんという当時の常務はとても器が大きな人物で、会社員として得たノウハウを持って会社を辞める若者を温かくサポートしていただき、23歳にして自分の店を持てました。ちなみにスズキという会社の懐の広さは、現在にも継承されていると思っています。
で、立ち上げた当初の神戸ユニコーンは普通のSBS店ですから、最初はスクーターなどもたくさん販売していました。自分としては、最初は小排気量車から手がけて、徐々に大排気量車もしっかり扱えるようにしていこうという計画。一方で自分自身は、すでにこのときGSX1100Sカタナ(SE型と呼ばれる84年式)に乗っていました。
ちょうど私がスズキに入社したとき、つまり80年にスズキがドイツ・ケルンショーでGSX1100Sカタナを発表。その衝撃は、どう表現したら今のライダーに分かってもらえるか……。そうだなあ、家にダイヤル式の黒電話しかない時代に、ガラケーを飛び越してiPhoneが発売されたというくらい! 少なくとも私にとって、カタナの登場はそれくらいセンセーショナルなものでした。
そして後に、神戸ユニコーンはカタナの専門店となっていくのですが、さすがにあの当時はここまでの規模になるなんて想像すらしていませんでした。
専門的二輪車の世界には道を突き詰める楽しさあり!スズキ・カタナシリーズのスペシャリストとして活動する横浜市のユニコーンジャパンその代表を務める池田隆さんは極めて豊富な経験と知識を持つ世界最高峰の“刀職人”だ