ヤマハはタイで、バイクを製造しているだけではない
当然、タイ国内でのセールス活動にも積極的に取り組んでいる
アセアン諸国らしくダイナミックに変動するタイの二輪マーケットにあって
ヤマハはじっくりと腰を据えたビジネスを展開している
タイ国内でのセールス活動
お客さまの幸せ販売店の幸せ
その両方を満たしたい
よその国のことは、シンプルに捉えがちだ。例えば、「日本に比べてアセアン諸国には勢いがあり、景気もいい」「バイクも日本より売れる」といった具合に。
だが、実際には物事はそんなに単純じゃない。タイのマーケット事情について詳細を教えてくれたのは、タイヤマハで営業企画ディレクターを務める渥美祥敬さんだ。
タイの国土面積は日本の1・4倍あり、人口は約7000万人。
GDPには3%の伸びがあり、政権の安定に伴って経済も安定している。世界的不況の中で、タイの景気はよいと言われている。
ただし、好景気を支えているのは主に輸出と観光だ。特に観光は、国を挙げての施策が成功し、GDPの約6割をサービス業・観光業が占めており、主にタイ南部を中心に躍進している。
その一方で、もともとの主要産業である農業は17年あたりからもうひとつ調子がよくない。タイ国民の6割以上が農業従事者と言われているが、GDPのうち農業が占める割合はわずか10%程度だ。上辺の景気はよく見えるが、足元は決して盤石とは言えないのだ。
バンコクのような都市部にいると、確かに景気は良さそうに見える。フェラーリやポルシェなど高級外車が当たり前にように行き交い、高級ブティックにも多くの客が足を運ぶ。ビッグバイクも目立ち始めてきた。
かたや、地方ではアンダーボーンフレームのモペットが中心だ。お父さんとお母さんがふたり乗りして畑や田んぼに向かい、日がな農作業に勤しんでまた家に帰る。そういった昔からの悠久の営みが延々と繰り返され、特に都市部のスタイルに憧れているわけでもない。自分たちの暮らしは変わらない、変えようがないという考え方が基本にある。
地方でのモペットのセールスの現場は、非常に泥臭いものだ。
「我々タイヤマハとしては、能書きよりも販売店と一緒にどれだけ汗をかくか。それがセールスの結果に直結します」と渥美さん。
モペット市場には強力なライバルがおり、そこを突き崩すのは非常に難しい。購入動機の中でも大きいのが、実車を目にすることと、クチコミだ。長い時間をかけてコミュニティに溶け込み、販売店と一緒になってユーザーからの信頼を得る必要がある。
ショップで待っているだけで選んでもらえる時代ではない。訪問販売やイベントなどにも積極的に取り組む。地道で、手間のかかる方法だ。
「愚直としか言いようがないんですけどね(笑)。セールスの方法として、効率は決してよくない。でも、ヤマハはずっとそういうやり方を続けています。モペットは実用の乗り物なんですよ。決して裕福とは言えない人々が、1台を長く乗り続ける。実用であるがゆえに、今までのメーカーから別のメーカーに変えることにも強い抵抗がある。そういう商材だから、すぐには結果が出にくいんです。それでも、実直に、不器用に取り組み続けるのが我々のやり方ですね」
渥美さんが重要だと感じているのは、「販売店さんに、心から『ヤマハのバイクは良い』と思ってもらうこと」だと言う。
低価格、高品質、そして信頼性が高いこと。ハードウエアとして優れていることは、もちろん基本だ。それと同等以上に、「ヤマハのバイクを売っていてよかった」という満足感を販売店に感じてもらうことが大切だ。
それが結局は、販売の際の熱意につながる。だからタイヤマハと販売店の間で、濃密なコミュニケーションを取る必要がある。渥美さんの「一緒に汗をかく」という言葉に込められているのは、ヤマハと販売店がただバイク販売というビジネス的な付き合いをするのではなく、「音叉マークのもとに集うファミリーとして苦楽を共にしよう」という意気込みなのだ。
「もちろん我々もショップもプロですから、より良い販売成績を出すことが大きな目標です。でも、クールな関係にはなりたくない。
各販売店にはそれぞれの事情があります。我々は上から押しつけるのではなく、『この販売店にはどんなやり方がいいのか』を考えます。お互いにプロでありながら、同じ目線で近さを持ちつつ、一緒にやっていきたい」
THAI YAMAHA MOTOR
Director of Commercial Planning
渥美祥敬さん
「バイクはもっと人々を幸福にできる」
91年入社。ベトナム、インドネシア、そしてタイと海外駐在歴は長い。
「お客さまが楽しそうにバイクに乗る姿を見ることが、仕事の喜びです」
ただ売るだけじゃない
より長く、安全に、バイクを楽しんでほしい
バンコク中心部から北に約10㎞ほど行った大通り沿いに、ガラス張りのスタイリッシュな建物があるヤマハのロゴマークが誇らしげに掲げられている。
ショールームに整然と並ぶのは、スタッフの手によってこまめに磨き上げられたヤマハのビッグバイクだ。右手にはおしゃれなカフェもある。エクステリアも、インテリアもエリア内でも際立つ存在感を放ち、ビッグバイクの非日常感をダイレクトに表現している。「ここではビッグバイクの販売や整備・修理などを行っていますが、我々としてはショップとは思っていません」と渥美さん。その通り、この施設は「ヤマハ・ライダーズクラブ」と名付けられている。
タイでは、5、6年前あたりから400㏄以上のビッグバイクマーケットが大きく伸長している。タイヤマハでの生産は150㏄以下のモペットやスクーター、スポーツバイク。ビッグバイクは輸入ということになる。
タイ国内におけるビッグバイクの法規制がヨーロッパと足並みを揃えたこと、日本からのバイクの輸入に関税がかからないこと、そして都市部を中心とした好景気などいくつかの好条件が重なり、ビッグバイクマーケットの拡大を後押ししている。
タイでのヤマハは、もともとハイセンス、ハイクオリティなど、非常にポジティブなイメージを持たれている。モトGPを始めとして、レースでの存在感も高い。
そんなヤマハが製造するビッグバイクだから、タイのライダーに「カッコよくて高性能な優れたバイク」と素直に受け止めてもらいやすい下地がある。
ヤマハ・ライダーズクラブは、その好イメージをさらに加速するためのパイロットショップだ。が、渥美さんは「ショップとは考えていない」と言うのだ。
「尖ったことを好む先進的なお客さまに、ひとつ上のエクスペリエンスをご提供したいんです。
販売というビジネス色をできるだけ薄くして、ビッグバイクライダーたちが集う場所でありたい。『クラブ』という名付けには、そんな思いが込められています」。用がなくても、いつでもふらりと立ち寄れる場所。そこにはヤマハのビッグバイクを愛するライダーがいて、特別なコミュニケーションが楽しめる–。カフェが併設されているのは、だからだ。
ヤマハ・ライダーズクラブでは、ツーリングイベントはもちろんのこと、音楽ライブなどバイクとは離れた催し物も積極的に展開している。渥美さんの言う「ひとつ上のエクスペリエンス」を提供することで、ヤマハファンの心を鷲づかみにする。
SNSでの情報発信も積極的だ。タイでは若年層を中心にSNSがかなり普及しており、反応は早い。ライダー同士の濃密なコミュニケーションも繰り広げられている。 接客もプレミアム。カスタムパーツやアパレルなどのグッズ類も選りすぐりの逸品が並ぶ。何もかもが別世界のハイクオリティさで、ここに来れば誰もが「ヤマハに乗っていてよかった」と思うだろう。
先のモペットのビジネスとは真逆を向いているようにも感じるが、渥美さんは「根本はまったく同じです」と言う。
「結局のところは、ひとりひとりのお客さまが何を求めているのかを考え、それをご提供したいというだけなんです。
実用の乗り物なのか、趣味の乗り物なのかによって、お客さまのニーズも当然異なる。販売の現場と一緒になって、それぞれのお客さまにとって最良の方法を採る、というだけ。そういう意味では、モペットもビッグバイクも少しも変わらないんですよ。
まぁ、こういうところがヤマハの不器用さなのかもしれませんが」と苦笑いする。
ところでタイでは、現在のところ二輪免許は1種類だ。キャリアやスキルに関わらず、二輪免許さえあれば誰でもビッグバイクに乗ることができる。
近々、排気量で区分される予定もあるが、とりあえず目先の販売台数を稼ぐだけのつもりになれば、「誰にでもいいから、売れるだけ売る」といった営業施策も立てられるのが現状だ。
しかしヤマハはそれをよしとしない。ビッグバイクの販売にあたっては、ライダーとしてのスキルや暮らし向きも配慮しながら、無理な押しつけは決してしないのだ。
さらに10年ほど前から、ヤマハ・ライディングアカデミーを開催している。
「タイの人々は基本的にマジメ。ライダーも、きちんとバイクに乗ろうとするんです。ライディングアカデミーは、日本でも講習を受けたり、レース活動しているような腕利きのインストラクターが、セーフティライディングについてレクチャーします。暑い中でも、受講する皆さんはとても熱心なんですよ」
バイクの大型化による事故を少しでも減らそうという取り組み。「1台でも多く売れればいい」という割り切りは、ここにはない。「ひとりでも多くの人にヤマハファンになってほしい。そして少しでも長く、安全に、バイクを楽しんでもらいたい」という願いだ。
ヤマハにとっては、バイクを売ることはもちろん、大きなビジネスではある。だが、その根底にあるのは、ピュアなバイク愛なのだ。