世界各地に生産拠点を設け、現地生産に積極的に取り組んでいるヤマハ
各地で展開されているのは、効率や成果だけを重視するような
スタイルではない。タイでの取材から見えてきたものは
「働く人々の喜びを高めれば、成果は後からついていくる」という柔軟さだった
生産の重要拠点は東南アジアへ
誇りと喜びを持って「自分のこと」として
仕事に取り組む
はつらつとした選手たちの掛け声と、実況放送が柔らかい風に乗って響く。観客から声援が上がる。ボールを追う選手。軽快なドリブルで相手ディフェンスをかわし、シュートを打つ。キーパーがボールを弾く。実況がひときわエキサイトする。観客が大いに湧く。
サッカーを楽しんでいるのは、タイヤマハの従業員たちである。昼休みが始まったほぼ直後から、ユニフォームに着替えてプレイする者や、ピッチの周りに陣取って観戦を決め込む者、お弁当を広げる者まで、たくさんの人々がグラウンドに集まっている。
ほんの少し前まで、彼ら/彼女らの多くはグラウンドのすぐ隣にあるバイクの組立工場にいた。広々とした工場内には、明るい光とともに前向きなやる気が満ちていた。
整理整頓が行き届いた工場内で、てきぱきと作業にあたるオペレーターたち。骨組みだけだったバイクには、ラインの流れとともに的確にパーツが組み込まれていく。
この工場では現在、月2万台ものバイクが生産され、タイ国内や日本など世界各国へと続々と出荷されていく。
1日にして約1000台。圧巻のスケールとスピード感で物事が進んでいる。その勢いを支えているのが、タイの人々だ。
真摯で、真剣で、朗らかな眼差し。誇りと喜びを持って自分たちの仕事をこなす姿からは、国籍を超えた「人としての」充実が感じ取れる。
「モノ造りにこだわるヤマハの姿勢は、しっかりとタイでも浸透していると思います」 工場の責任者である村木健一さんは言った。
「タイヤマハの創業は64年3月。50年以上の歴史がありますから、ヤマハイズムが隅々まで行き渡っている。優秀なタイ人の層がとても厚くて、監督職からオペレーターまで、バランスのよい構成になっているんです。先人たち(ヤマハ本社から送り込まれた日本人駐在員)の教育の賜物ですよ」
「教育」。この言葉しか使いようがないのだが、ヤマハの海外における事業展開のスタイルは、「教壇の上から先生が生徒にものを教える」といったいわゆるトップダウン形式の「押し付け」とはまるで正反対である。
生産企画のアドバイザーや日程管理などを務めている高野徹さんの話が象徴的だ。「私たち日本人駐在員の間は、『自分が帰る時には、後任がいないこと』が目標になっています。つまり『次の日本人駐在員はいない』という意味。現地の人たちだけで仕事が回せるようになり、日本人駐在員がいらなくなることが理想です」
目線で一丸となって目標に向かい、ともにそれを達成しようとする。教育とは言っても、「先生と生徒」というより、仲間と呼ぶのがふさわしい関係性だ。
「タイ人は、日本人や日本という国、日本文化に対して強い憧れを持っています」と村木さん。
「よくタイ人は『国ごと日本の隣に引っ越したい』なんて冗談を言うんですが、それぐらいの親日感情を持ってくれている。しかもポジティブで、すごく素直だしマジメ。マジメすぎて融通が利かない時もたまにあるんですが(笑)、日本人以上に人間同士のコミュニケーションを大事にしますから、ちゃんと相互に理解し合える。そういうバックグラウンドがうまく仕事に生きているという面もありますね」
THAI YAMAHA MOTOR
Chief of Manufacturing Operation
村木健一さん
「日本のユーザーにもよりよい製品を」
本社での製造技術部門勤務などを経て、海外で工場や部品会社の立ち上げなどを手がける。「各国の密接な連携を軸に生産レベルは高まり続けている。高品質な製品を適切な価格で提供できることは、日本の市場にも大きなメリット」
THAI YAMAHA MOTOR
Advisor/Production Planning, Manufacturing Operation
高野徹さん
「納得した上での仕事が高品質な製品を生む」
タイ駐在はもうすぐ5年。親日感情が良好で仕事も進めやすいタイでの駐在はうらやましがられることも多いそう。「現地の人たちとじっくり話し合い、納得して仕事してもらえるよう心がけています」
働く人が感じる喜びは
製品を通してユーザーに伝わる
現地の人々の特性を明確に把握しているのは、まさに「仲間」として同じ目線に立っていることの証だ。そしてヤマハは、タイに限らずどの海外生産拠点においても「現地の人々と一緒になって働き、やがては日本人駐在員がいなくてもヤマハらしい高品質なモノ造りが継続されることが目標」というスタイルを貫いているのだ。
ヤマハには、「ME500」という研修システムがある。海外から製造スタッフを日本に招聘し、日本の工場で1~2年ほど実務経験を積んでもらうのだ(リーダー・職長クラスは「6カ月研修」)。
彼ら/彼女らは実際の業務にあたりながらヤマハのモノ造りを体感・吸収し、自分のものとして、各国に帰っていく。そして未来のリーダーあるいは職長として、ヤマハイズムを自国の人たちに伝播していくのである。
村木さんは、「国が違えばどうしても言葉の壁がありますからね。ものの考え方や微妙なニュアンスは、絶対に現地の人たち同士の方が分かり合える。だったらコアとなる人を育てて、現地で広めてもらった方がいい」 言葉や文化という基盤から違う各国の人々を介するやり方だけに、ヤマハイズムは完璧に正確に伝わるわけではない。国によってわずかな誤差が生じることもある。
高野さんが言う。
「仕事に取り組む人たちに、自分が何をやっているのかをちゃんと納得してもらいたいんです。誰だって、理由もよく分からないまま押し付けられたことなんて、やりたくないものですからね」「国による誤差」は、そのままでは終わらない。相互の密接な情報交換により共有されるのだ。タイのスタイルがベトナムで応用される、といった事例が頻繁に起こる。
そうやってお互いの「いいとこ取り」により結果的に各国の生産技術が向上し、生産国に関わらずヤマハ製品の品質が高まるのだ。
海外生産にあたってのやり方は、いろいろだ。日本人駐在員が大挙して押し寄せ、日本のやり方を強力に推進する企業もある。その方がスピーディに物事が進む可能性が高く、効率も良く、日本企業としての達成感も得やすいだろう。
しかし、ヤマハは決してそういう道を選ばない。各国の人々の考え方や生き様を尊重しながら、同じ目標に向かって同じレベルの意識を携えて、ともに歩む仲間を作っていくのだ。
時間も、手間もかかる。決して効率はよくない。しかし、どんな木だって最初から大樹であるはずがない。丹念に土を耕し、丁寧に種を蒔き、大切に細木を育んでこそ、その地にどっしりと根を下ろした大木になるのだ。ヤマハはそうやって、各国に企業文化を根付かせてきた。
村木さんが冒頭に言った「先人たち」のやり方は、海外展開を始めた当初から現在に至るまで、また洋の東西によることなく、変わらず貫かれ続けているのだ。
なぜそうなったのかは、ヤマハの誰に聞いても判然としない。当たり前のこととしてそうやって始まり、当たり前のこととして受け継がれていることだから、理屈も理由もそこにはない。
ひとつ言えるのは、ヤマハは主に「楽しむための道具」を製造している会社だ、ということだ。世界の人々に喜びを授け、暮らしを豊かにするために、ヤマハはある。
それは従業員も同じだ。ヤマハで働くことに喜びを感じられ、幅広い意味で豊かな暮らしがもたらされているからこそ、心からユーザーに喜んでもらおう・楽しんでもらおうと思えるのだ。「タイ人の従業員から、『ヤマハはマイルドだよね』と言われることがあるんです」と高野さん。
「やれ作れ、やれ急げというイケイケドンドンなやり方じゃないから、『ヤマハは優しい』って言われます。それってもしかしたらビジネスとしては甘さがあるってことかな、と思うところもあるんですが……」と笑いながらも、「でも、離職率の低さは自慢できますね」と付け加える。
村木さんも言った。「ひとりひとりが『私がヤマハ』という意識を持って、仕事に喜びを感じてくれているのかな、と思います。その結果、より良い製品を世界各国に提供できるんですから、いいこと尽くしですよ」
さて、昼休みが終わったようだ。サッカーを楽しんでいた人々が、お弁当をたたみ、ユニフォームを脱ぎ、作業着に着替え、それぞれの職場へと戻っていく。今日という日も、充実の1日になるだろう。