ニューモデルが登場するたびに、華々しく紹介される電子制御
今やスポーツバイクには必須となりつつある装備だが
ヤマハは「制御の気配」を消すことに全力を傾けている
15年に登場したYZF-R1Mは、トラクション/スライド/リフト/ローンチコントロール、
クイックシフト、電子制御サスなどを搭載する「電子のカタマリ」だ
目指すは「制御を感じさせない制御」
最優先しているのは
自然なフィーリング
バイクはもともと、非常に分かりやすいメカニズムの、シンプルな乗り物である。
例えばネイキッドバイクなどは、そのメカニズムのほとんどを目にすることができ、何がどう機能しているのか直感的に伝わってくる。いわば「アナログのカタマリ」だ。
しかし、最近のバイクは電子制御デバイスが搭載され、目で見ただけでは機能が分かりにくい乗り物になりつつある。
……と思いきや、実はバイク電子化の歴史は結構長い。
ヤマハ発動機電子システム開発部の中川善富さんは、「『電子制御』の線引きは明確ではありませんが、弊社では82年にリリースしたXJ750Dに電子制御燃料噴射システム――いわゆるFIを初搭載しています。同じ頃、83年発売のRZ250Rに市販車初搭載された排気デバイスYPVS(ヤマハ・パワー・バルブ・システム)も、電子制御と言えるかもしれません
YPVS自体が世に出たのは、78年にケニー・ロバーツが初タイトルを獲得したGPマシンYZR500だから、40年近く前だ。
「正確には、点火系などは最初から電気を使ってるわけですしね」と、同・広地正樹さんも言う。
彼ら「電気のスペシャリスト」からすれば、バイクは私たちの想像以上に早い段階から電子制御化されていたのだ。しかし実際に電子制御の進化が急加速したタイミングがあり、「弊社では06年あたりでしょうか」と中川さんは言う。
06年型YZF‐R6に電子制御スロットル「YCC‐T」が搭載され、以降、電子制御シフト「YCC‐S」、電子制御インテーク「YCC‐I」、電子制御AT「YCC‐AT」などが登場した。
「YCC」とは、「ヤマハ・チップ・コントロールド」の略。まさに電子制御というわけだ。
また、これらと連携して多くの制御が搭載されるようになった。最新スーパースポーツYZF‐R1Mを例に挙げると、トラクションコントロール、スライドコントロール、リフトコントロール、ローンチコントロール、クイックシフト、電子制御サスペンション、パワーモード切り替え、ヤマハライドコントロールなど盛りだくさんだ。「デジタルのカタマリ」は急速に進化している。
最先端のR1Mに限らず、ヤマハのスポーツモデルの多くに、コンセプトに合った電子制御が投入されているのだが……、正直なところスイッチ操作をする時以外は、電子制御を意識することがない。新装備として華々しくフィーチャーされるわりに、実走時にはあまり意識しないというのは、ちょっと不思議な印象だ。
「実は、そこが最大のポイントです」と中川さんは言う。
「制御に少しでも不自然さや違和感があると、弊社の開発テストライダーにことごとくNGを出されるんですよ」と苦笑いする。
広地さんも、「違和感のない電子制御を実現するのは、結構大変なんです」。広地さんには、モトGPマシンの電子制御に携わった経験がある。
マシンを限界領域で走らせるモトGPライダーは、決して強引なライディングをしているわけではない。限界に近付けば近付くほど、マシン特性にはスムーズさを求める。
ギリギリのライディング時、わずかでも違和感が生じれば、ライダーは不安になり、思い切り攻められなくなる。もちろん、不意な挙動など御法度だ。
深々としたバンク角で走るモトGPは見た目こそダイナミックだが、実際には繊細でシビアな世界なのだ。
そしてこれはモトGPのみならず、私たち一般ライダーにも大いに当てはまる。私たちも、繊細でシビアにバイクを感じているのだ。
バイクは極めて繊細な乗り物
電子制御の開発は非常にシビアだ
ヤマハ発動機 電子システム開発部
主査
中川善富さん
ビッグバイクやROVなどのECUを開発。VMAXの制御開発やFJR1300の電子制御スロットルなどに携わる。YZF-R1では電子制御全般のとりまとめ役
ヤマハ発動機 電子システム開発部
主務
広地正樹さん
スクーターのFI開発を経て、モトGPで速く走るための電子制御を経験。以後、FJR1300のトラクションコントロール、YZF-R1のECUなど幅広く手がける
いかに電子制御が進化しても
重視しているのは「人が操る喜び」
「ヤマハは、いわゆる電子制御の採用にあたっては、どちらかと言えば慎重な方だと思います」と中川さんは言う。
「制御の仕様やロジックを決めるにあたり、車両開発コンセプトとマッチングさせながら、いかに自然に仕上げるか。ここに時間がかかるんです」
勝手なイメージだが、電気系の開発者の方たちは、「端末に向かってパチパチとキーボードを叩き、あとはコンピュータに計算させるだけ」といった具合に、いたってクールな仕事ぶりに思える。
だが実際は、ある制御の数値を変更したら、それが実走にどう影響を及ぼすのかをテストライダーに確かめてもらい、ヒザを付き合わせてディスカッションする。ひとつひとつ、丹念に。
コンピュータやセンサーなどの性能向上によりできることが増えた分、確認作業も膨大になる。かなり泥臭く、地道な業務だ。しかし、避けて通ることはできない。
「ヤマハは、人間の感性に訴えるモノづくりの哲学『人機官能』を掲げていますからね。
フィーリングはあくまでも自然で、なおかつライダーを適切にサポートする制御でなければ、テストライダーは決して首を縦に振りません」と中川さん。
また、信頼性も重要である。IMU(慣性計測装置/運動の角度や加速度を検知するセンサー)が搭載されるようになり、電子制御はより高度化・複雑化している。
そのIMUや、バイクの頭脳とも言えるECU(エンジンコントロールユニット)を始めとする電子機器類は、熱や振動や風雨にさらされ、スペースの余裕もないバイクに搭載されるのだ。精密な電子制御を執り行う「場」としては、かなり厳しい条件だ。
それでも誤作動を起こさないように、搭載位置も含めて詳細に検討し、綿密なテストを繰り返す必要がある。また、コネクターやハーネス類にも気を使う。
それだけ開発に手間やコストをかけながらも、電子制御の普及が急加速しているのには、大きく分けてふたつの理由がある。
ひとつは、年々厳しさを増している排ガスや騒音など各種規制への対応だ。電子制御FIを中心とした進化で、エンジンの燃焼をよりきめ細やかにコントロールすることで規制をクリアし、社会要請に応えているのだ。
そしてもうひとつは、バイクに新たな付加価値をもたらすこと。
バイクは、シンプルで分かりやすいメカニズムが特長のひとつだが、それは取りも直さず「単機能的」ということの裏返しでもある。1台のバイクは、基本的にひとつのキャラクターしか持つことができないのだ。
しかし電子制御は、1台のバイクに複数のキャラクター性を持たせることができ、使い勝手を変えることができる。
非常に分かりやすい例が、簡単なスイッチ操作でエンジン特性を切り替えられるD‐MODEだ。スタンダードを中心にマイルドになったり、アグレッシブになったりする。「1台で3度おいしい」の具現化である。
そして、ほとんどの電子制御はユーザーの好みに応じて設定ができる。カスタマイズ感覚で「自分だけの1台」を作り上げることが可能なのも、電子の恩恵だ。
また、さまざまな状況を判断してリアルタイムに対応できる柔軟性を備えているから、安全面の向上にも寄与している。
まさに「いいこと尽くし」のようだが、開発に携わっている中川さんも広地さんも、「電子制御は主役ではありません」と口を揃えるのだ。
「舞台で言えば、主役を務める俳優はあくまでもライダー。電子制御は黒子なんです」と中川さんは言う。「気付かれないように仕上げることが、我々の腕の見せどころだと思ってるんですよ」
どんなに技術が進化しても、ライダーが主体となって操る楽しさが味わえることが、バイクのあるべき姿だとヤマハは考えている。最新・最先端の電子制御でさえも、理想に近付くためのサポート役だと言うのだ。
「何も意識することなく、どんな状況でも安心して走っていただければ、それが1番うれしいですね」と広地さんは言った。
華々しい電子制御も、ライダー本位のヤマハにとっては「裏方」。誰にも気付かれないことに、今日も全力を注ぐ。
ヤマハらしい自然な制御を実現する”YCC”
YCC-T
ヤマハ電子制御スロットルライド・バイ・ワイヤ
最初に投入されたモデル:2006年YZF-R6
スロットルグリップの操作を電気信号に置き換え、ECUを経てスロットルモーターに伝達する。さまざまな電子制御の基幹技術だ
YCC-S
ヤマハ電子制御シフト
最初に投入されたモデル:2006年FJR1300AS
エンジン回転数とスロットル開度に合わせてクラッチを最適に作動。クラッチレバーを装備せず、ギア操作はシフトペダルまたはハンドスイッチで行う
YCC-I
ヤマハ電子制御インテーク
最初に投入されたモデル:2007年YZF-R1
低速のトルク向上と高回転のパワーを両立する可変式エアファンネル。回転数やスロットル開度に応じてファンネルの長さが長/短で切り替わる
YCC-AT
ヤマハ電子制御オートマチックトランスミッション
最初に投入されたモデル:2007年Majesty YP250
3つの異なる変速特性を選べるATシステム。ATらしい簡易さに加え、I/Sスイッチによるシフトダウンでのスポーティなフィーリングも楽しめる