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  4. ルーティンではない毎日と完成させる喜びを!【盛岳郎/BikeJIN編集長】

転職してまでBikeJINに潜り込んだとウワサですが?

A.どうしても出版業界で働いてみたかったんです。

そもそも本が好きで、高校時代から編集とか出版という仕事に興味があったのですが、大学を卒業するときには希望の職種がある会社に採用してもらうことができず、比較的業種が近い印刷会社で働いていました。しかしあるとき、「やっぱりあきらめられないし、一度は経験してみたい」と思い、出版系の仕事を探すことにしました。

そのとき、たまたま募集していたのがBikeJINのアルバイト。バイク雑誌の仕事に携わっている人の多くは、バイクがスゴく好きだったりその雑誌の読者だったりすると思いますが、僕はそもそも出版系という大きな枠で仕事を探していたので、じつは熱狂的にバイクが好きだったわけでも、正直な話、それまでBikeJINという雑誌を読んだこともなかったんです。

ただし普通二輪免許は持っていて、社会人になってからようやく憧れだったヤマハのSR400を購入したので、辛うじてバイクには乗っていました。

ところが、そういうことが何となくバレていたのか、せっかく見つけたBikeJINのアルバイトでしたが、書類選考の段階で2回も落とされることに……。とはいえ、何度も応募してはダメとは書かれていなかったので、落とされる度に志望動機などをすべて書き換え、ようやく「まあ、来ていいよ」と言われました。それを機に大型二輪免許を取得しました。

ロケで訪れた「生月サンセットウェイ」。こんな絶景を走っている瞬間も仕事です

編集部に入ってみての印象は?

A.社内の雰囲気はTVなどで見ていた世界そのまま……。

編集部を訪ねてまず感じたのは、想像どおりに雑誌やら資料やら製品なんかが山積みのデスクだなあ……ということ。でもその当時、そもそもそういう編集者の姿がカッコいいと思っていたので、テレビのドキュメンタリー番組やドラマなんかで見た世界そのまんまという感じで、とくに違和感はありませんでした。いま思えば、あそこで絶望しなかったことが少なくとも現在まで仕事が続いている理由かもしれません。

編集部員となってからはどんな仕事を?

A.少しずつ、できる仕事の幅を広げさせてもらいました。

最初のうちは、とにかくいろんな編集部員が取材に出かけるときに付いていって、レフ板(撮影時に光を被写体に反射させて光量を調整する板)を持つとか撮影用車両を磨くなどの雑用をしていました。撮影用のバイクを移動させるようになったのは、しばらく経ってから。それも最初のうちは、撮影のためにバイクを押し引きして理想的な位置に配置する程度の仕事内容でした。

そのうち、移動要員としてトランスポーターにバイクを積んで運んだりする仕事も覚えました。それまでコアなバイク乗りというわけではなかったのですが、段階を踏んで徐々に仕事を任されていったので、難しさは感じませんでした。

一方でデスクワークのほうも、いきなりページを任されるなんてことはなく、最初のうちは誰かのヘルプというのが基本。荷物や雑誌の発送などの雑務から覚えて、こちらも少し経ってから、連載などのフォーマットが毎号決まっているページを担当して、少しずつページづくりの流れを覚えていきました。

会社にあるスタジオでの撮影にも立ち会います。発売前の最新ギアに触れられることも!

編集部員の仕事の流れと関係する人

ひとつの企画・ページで関わる人は取材先なども含めると10人ほどで、それを何ページも受け持ちます。ここで編集者に必要な能力は「プレゼン力」。会議で企画を通す(編集長にNOと言わせない)、飲食店へ取材のアポイントメント(取材NGと断られることも)、デザイナーに自分が作りたいページの意図・イメージを正確に伝える(イメージと違うと修正の嵐……)、ライターへ原稿を頼む&受け取り(スケジュールと進行管理)、印刷会社に校了日(締め切り)の延長のお願い(笑)などなど……。仕事の流れを図にするとざっとこんな感じになりますが、ページができるまでに様々な工程を経てできあがるわけです。

※簡略化した一例です

企画立案とか特集のページづくりに携わるようになったのは?

A.1年くらいかけて、雑誌という世界の基本を覚えてから。

僕は業界未経験で、バイクのこともそれほど詳しくなかったので、最初の1年間はとにかくなんでも覚えようというスタンスでした。2年目に入るくらいから、特集中の2ページを受け持つなど、編集責任が自分に生まれる仕事が増加。

それまで編集部の誰かと一緒に取材やロケをしていた環境から、カメラマンとライターと自分だけで出かけることも多くなりました。それも最初のうちは編集長などが事前にフォローを入れてくれていたので、意外とスムーズにこなせていました。

そもそも、バイク雑誌業界で仕事をしているカメラマンやライターの方の多くは経験豊富なので、僕がわからなかったり困ったりしていても、すぐに助けてくれます。いつまでも仕事を覚えなかったら怒るでしょうが、新人に対していきなり厳しいことを言う人はまずいないし、むしろバイク雑誌ならではの特殊な撮影事情などを教えてくれるので、安心して臨めました。

いわゆる企画会議にも参加していましたが、やはり最初のうちは大きくヒットするような企画は提案できずにいました。それでもいくつかの企画案の中から、「それならこれを、この特集内で2ページくらいのボリュームでやってみて!」なんて、自分の案が採用されることも増えてきました。

そうこうして自分が担当するページが増えてきたので、その段階で「いずれ編集部内で担当ページを一番多く持つ」という密かな目標を掲げました。たぶんこれは、丸3年くらいが経過したときに達成しました。

愛車はトライアンフ・ボンネビルT120。毎日これに乗って通勤しています!

BikeJINはイベントの主催も多いと思いますが?

A.イベントは非日常的で楽しいし、経験値のプラスも大きいです。

イベントスタッフとしては、かなり初期のころから参加しています。たしかにイベントを主催する側は、荷物の運搬から会場の設営や誘導、トラブルの対応までと、大変なことも多いのですが、いざ自分がその中に入ってみると、楽しさもたくさんあると気づきました。

こう言うと語弊があるかもしれませんが、ある意味で学生時代の文化祭に近い雰囲気もあり、自分たちで最高のイベントをつくり上げるという使命感と、終わったときの達成感。オトナになってからこういう経験ができるのは貴重かもしれません。

また、BikeJINは編集部員が誌面に登場する機会も多いので、来場した方々から名前で呼んでもらうなんてこともしばしば。読者の方々とリアルの場で交流できるというのも、メリットになっていると思います。

そもそも、自分たちで2000~3000人を集めてイベントを実施するなんて経験は、一般的なサラリーマンにはなかなか難しいはず。自分のキャリアにとってもプラスになっていると思います。

主催したキャンプイベントでの一コマ。人前でしゃべる度胸も付きます

誌面づくりやイベント関連以外にも業務があるんですよね?

A.BikeJINオリジナルアイテムの開発も担当しています。

BikeJINはマルチなバイクメディアで、雑誌の編集以外の仕事もかなり任される傾向にあります。例えばSNSの運営はそのひとつで、僕もBikeJINの公式ツイッターでよくつぶやいています。ツイッターアカウントは、僕がこれまで育ててきて、現在は中村編集長を含む全員で運営しています。社内で実施されている専門家による研修などに参加して、SNSなどに関する分析ツールの使い方も学びました。

また、さまざまなブランドとコラボレーションしたBikeJINオリジナルアイテムの販売に関する、新製品の企画立案なんかもやっています。

オリジナルアイテムに関しては、基本的に自分が欲しいモノとか「これはいいぞ」という製品を見つけるというのが第一段階。そこから、メーカーの担当者と打ち合わせして、通常のラインアップにはないオリジナルカラーがつくれるかとか、BikeJINロゴを入れられるかなど、いろんなことをヒアリングして、コラボ製品化が実現可能かどうかを判断していきます。

これまで僕が開発から担当した製品には、キャンプ用のエプロンなどがあります。金額や生産などに関する最終的な調整局面では、営業担当にも企画に加わってもらったので、雑誌づくりやイベント運営とは仕事の内容こそかなり違っていますが、それほど難しさは感じず、むしろ新しいことに挑戦できるという楽しさのほうが勝っていました。自分が気に入った製品が、最終的にオリジナルコラボアイテムとして販売されるなんて、なかなかない経験なので、はっきり言ってワクワク感のほうが大きいです。

「あったらうれしい」をカタチにするのも仕事の一つ。ほかにも、雑誌の付録やイベント限定のTシャツなどのデザインも考えています。

雑誌づくりの中で、これまでもっとも印象に残っていることは?

A.自分の中のブレイクスルーは5日間の北海道取材。

最初に自分の企画が採用されたとき……と言いたいところですが、それはまったく覚えていないんです(笑)。僕の中で大きな飛躍を感じられたのは、2017年8月号の北海道特集で、自分がライダー兼ライター兼編集として北海道取材に行ったとき。それまで、トータル5日間なんていう長期間ロケは未経験。北海道でバイクに乗るのも初めてでしたし、ロケの場所からスケジュールまですべて自分で考えながら十数ページの記事を担当するというのも初。加えて、自分が担当したロケで撮影した写真が表紙に使われるというのも、これまで経験がありませんでした。

現地では到着してからずっと雨で、表紙に使えそうな絶景なんてまるで撮れる気がしない状態。「これだけ長期のロケで、まったく撮れ高がない……」と、途中でかなりプレッシャーも感じていたのですが、帰る前日午後になってようやく晴れ、そこから一気に巻き返して求める写真をすべて撮れたというのも、印象を深めている理由だと思います。あの時の達成感は、凄まじいものがありました。

一番印象に残っている日本最北端、宗谷岬での一コマ。このロケで頑張った甲斐もあって表紙の写真に採用されました!

逆にこれまで辛かったことは?

A.辛かった記憶、ないんですよねえ……。

辛かったことがまるでなかったと言えばウソになるし、例えば校了2日前とかは毎月苦しいと感じていますが、とくにこれがと挙げるほどの辛かった体験はないんです。よく、「編集部員っていつも徹夜で仕事なんでしょ!?」なんて聞かれるんですが、それはたぶん大昔の話なんだと思います。

僕の場合、編集部に入ってからこれまでの5年間で、会社に泊まった回数は片手分もありません。

会社に泊まったというのも、ずっと仕事をしていたわけではなくて、前日の仕事終わりが遅くなってしまったのに翌日の集合時間が早く、帰宅するメリットがまるで感じられなかったときくらい。敢えて自分で選択したというだけのことで、帰れなかったという状況ではありません。そもそもいまの編集者というのは、スマートフォンやノートパソコンがあれば、ある程度の業務は会社のデスクに座っていなくてもできるので、自由は多いと思います。

それ以外に、個人的な辛さというか苦手な部分としては、いろんなものを同時進行する中で最初の一歩を踏み出すとき。企画でもイベントでも、動き出してしまえばあとは勢いがつくのですが、動きはじめというのはなんとなく重いんですよねえ……。

最後に、雑誌の編集をやっていて喜びを感じる瞬間を教えてください!

A.いつも新しい経験ができること。これに尽きます!

これは人それぞれだと思うのですが、僕の場合は、レイアウトを基にライターさんから原稿が届き、そこから文字を流し込んで校正して校了に持ち込むまでの流れに気持ちよさを感じています。なんというか、バラバラだったパーツが一気にひとつの完成品になるイメージ。たしかに、時間との勝負で辛い時期でもあるのですが、同時に快感でもあります。

月刊誌の場合、いわゆる締め切りは毎月同じ時期にやってくるので、そういう意味ではルーティンなのですが、ページの構成や定型ページであっても記事の内容は当然ながら毎回違うので、飽きることがありません。

もちろんその手前の段階、つまりロケや取材も、内容や行く場所や会う人は毎回違います。いつも新鮮な体験ができるというのも、編集という仕事の大きな魅力かもしれません。

取材と称して様々な場所を走り、様々なバイクに乗り、様々な体験をしています。刺激的な日々を送っています

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