子供の頃に読んだ絵本は、強く印象に残るものだ。そしていつかふと、心に蘇る
今年7月にヤマハが企画した「はしれ! 絵本展」は、実際にバイク乗りが体験した
エピソードをもとに製作された
40冊の絵本を一挙に展示。アートを軸にしながら
「こうあってほしい未来」を見据えた、ヤマハならではのプロモーションである
バイクに興味がない人をどう振り向かせるか
今、日本のバイクユーザーの平均年齢は、50歳を超えている。しかも年々上がっていく一方だ。
現在のバイクユーザーを満足させ、つなぎ止める施策ももちろん大事だ。一方で、新しいユーザーを取り込む努力をしなければ、業界は先細りするばかりとなる。
各メーカーやメディア、さまざまな団体が新規ユーザーの掘り起こしに積極的に取り組んでおり、ヤマハの「はしれ! 絵本展」もその流れの中にある。ほんわかとした絵本とは裏腹に、事態はかなり深刻なのだ。
「バイク関連のイベントを開催しても、バイク乗りの人たちにしか届かない。バイクに乗っていない人、バイクに興味関心のない人を振り向かせるにはどうしたらいいか。これは悩ましいところです。絵本が正解かどうかは、正直分かりません。でも、ひとつのやり方ではあると思います」
製品をアピールしたところで、無関心層には届かない。バイクそのものを認知してもらい、バイクを取り巻く世界観に共感してもらうために、絵本は確かに有効な存在かもしれない。
「例えば、バイク乗りのお父さんがツーリングに出かける時、奥さんや子供はたいてい留守番ということになります。よほど理解がない限り、家族は『お父さんに置いてけぼりにされた』と思ってしまうでしょう。お父さんがバイクに乗って何をしているのか、何を感じているのか分からないからです。
そこにバイクがテーマになった絵本のように、誰もが手に取りやすく、気軽に読めるメディアがあれば、お父さんの乗っているバイクという乗り物をもう少し家族に理解してもらえるかもしれません。
また、家族の中でも『乗ってみよう』と思う人が出てくるかもしれない。ささやかなんですが、そういう期待も大事かなと」
田中さんの言う通り、バイクの絵本は小さな小さな1歩だ。夏休みの3日間で、「はしれ! 絵本展」の来場者は約2000人だった。ウェブでも公開しているから、もっと多くの人たちが絵本を目にしていることは間違いないが、費用対効果は測定できないだろう。
製作された40冊の絵本は、原画などとともにアートの街・東京は表参道に展示された。既存のバイク乗りに対するやり方とはまったく異なるアプローチは、成功裡に。ヤマハも手応えを感じ、今後のさらなる展開も検討中だ
それでも、何もせずただ手をこまねいているよりは、どんなことでもやってみる方がはるかに意義深い。そしてヤマハには、種を蒔く前に畑を耕すだけの気概が十分にあるということだ。
「少しでも多くの方に、バイクを理解してもらう。バイクの世界に共感してもらう。特に日本では、非常に重要だと考えています」と田中さんは強調する。
残念なことに、日本の二輪市場は縮小傾向が止まらない。ビジネス効率だけを考えれば、日本の市場をあきらめて、別の国に目を向ける方が効果的かもしれない。
だが、ヤマハはグローバル展開を広げながらも、日本に本社を構えている企業だ。「日本を決してあきらめない」という思いを強く持っている。やれることに限りはあるが、アイデアと工夫を凝らして1歩でも前に進もうとしている。
「ひとつ重視しているのは、リクルートという側面です。無関心層にコトを提供することで、若い世代に『ヤマハ』という会社名を覚えてもらえるかもしれません。
そして彼らが就職という段になって、『あ、子供の頃に絵本で見た会社だ』と、もしかしたらヤマハを選んでもらえるかもしれない。少しでも、ヤマハという会社のフックになればうれしいな、と」
優秀な技術者を雇用することは、ヤマハのようなメーカーにとっては命綱だ。本社のある日本で、若い世代の記憶に社名を残すことは、企業存続の生命線。絵本といえども決して軽んじることはできない。
先に「『はしれ! 絵本展』は少しふわっとしているかもしれない」と田中さんは言ったが、実はそうとは限らないのだ。ヤマハのバイクは優れたデザイン性が高く評価されている。つまり、アートとの親和性が高いメーカーだ。
企業のスローガンに「アート・フォー・ヒューマン・ポシビリティ」や「アート・オブ・エンジニアリング」を掲げ、レース活動においても「アート・オブ・レーシング」と謳う。「アートであれ」は、ヤマハのDNAでもある。
そして絵本こそ、アートのひとつ。つまり「はしれ! 絵本展」は、ヤマハらしさにあふれたプロモーション活動なのだ。
「かもしれない」と田中さんは繰り返した。実際のところ、確実に効果が見込めるプロモーションとはいえない。だが、ヤマハらしさをたっぷりと備え、若年層を中心としたバイクに興味のないアプローチできる施策として、絵本はこれ以上ない存在にも思える。
「ヤマハだからできること、だとは思うんですよ」と田中さん。「今、すでにバイクに乗っているユーザーさんたちに向けて、愛のある製品を提供する。そしてこれからバイクに乗っていただける未来のユーザーさんたちに向けて、絵本のようなアプローチをする。両方とも大事だと思っています」
何となく眺めた、バイクの絵本。何となく心に留まったバイクの存在と、ヤマハのロゴ。幼かった彼/彼女が10年後、20年後に、バイク乗りになる。あるいは、ヤマハに就職する――。
そんな出来事が本当に起きたら、それこそ絵本のようだ。思い描いたロマンチックなストーリーがいつの日か現実になることを夢見て、今日、畑を耕す。アートの影には、実直な歩みがある。
ホストの帝王・ローランドさんによる絵本の読み聞かせも行われた。絵本+ローランドさんの組み合わせは、子供ならずとも鮮やかな記憶になる
場内にはナイケンとPW50が展示されていたが、商売っ気がほとんど感じられない「はしれ! 絵本展」。ファン醸成が最大の狙い
ヤマハ社内の託児所でも保育士による読み聞かせが。親(ヤマハ社員)の仕事を、何となくでも理解できそう。これも大事な将来への種まきだ
大風呂敷を広げず自分たちにできることをひとつずつ
アフリカでは、汚れた水の危険性を子供たちに知ってもらうため、社員お手製の紙芝居と寸劇を披露(ヤマハは新興国での浄水事業を展開)。変身ヒーローものは理解されなかったそうだが、「やったからこそ分かること」と次への種にする
「はしれ! 絵本」プロジェクトはウェブでも展開。製作した40作品が閲覧できるほか、簡単な項目を選べばオリジナル絵本を作れる仕掛けも。絵本という手触りのあるメディアと拡散性の高いウェブの効果的な融合
HP:https://www.yamaha-motor.co.jp/mc/lineup/lmw/ehon/